著者
小澤 幸夫 Ozawa Yukio
出版者
神奈川大学経営学部
雑誌
神奈川大学国際経営論集 (ISSN:09157611)
巻号頁・発行日
no.39, pp.235-248, 2010-03

ナポレオン支配下のベルリンでフィヒテが1807年12月から1808年3月にかけて行った連続講演『ドイツ国民に告ぐ』は、高校の世界史の教科書などにもしばしば登場する。このため、ともすれば政治的な文章と思われがちだが、実際に読んでみるとそのほとんどが教育に関する内容であり、相前後して書かれた彼の大学論『学術アカデミーとの適切な連携をもったベルリンに創設予定の高等教育施設の演繹的計画』と表裏一体となって、フィヒテの教育論の重要な部分を形作っている。これはフィヒテがドイツの再生は「新しい教育」の導入なくしては不可能であると考えていたことによる。本稿では、時代背景はもとより、『全知識学の基礎』や『現代の根本特徴』といった彼の他の著作、さらにペスタロツチの教育論などとの関係に留意しつつ、主として国民教育論として『ドイツ国民に告ぐ』を読み解いた。

言及状況

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これの残存感あるhttps://t.co/vEyxGdgb09《従来の教育は、人間には神の掟に背く性質が生まれながらにあるとか、神の掟を実行するのは~不可能だとか決めかかっていた~のです~生徒は~自分自身や他のすべての者がおかれている現状以上に向上を欲することもなくなるでしょう》
http://t.co/vEyxGdgb09日本人の労働観はこの系統でしょうね。折に触れ再掲《強調されるのは、学習 (Lernen)と労働 (Arbeiten) の統一である。~「人間というものはいつも自分自身の力で自分自身の道を切り開いていくことができる、したがって、自分自身が

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