- 著者
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吉見 明子
- 出版者
- 近畿大学短期大学部
- 雑誌
- 近畿大学短大論集 (ISSN:03867048)
- 巻号頁・発行日
- vol.44, no.1, pp.37-51, 2011-12
[目次] はじめに, 第1章.生産財としての英語、消費財としての英語 第1節.2種類の語り 第2節.溝の種類 第3節.溝を生み出すもの, 第2章.消費社会の正の側面--平等化 第1節.女女格差 第2節.平等化と中流意識 第3節.アメリカナイゼーションと英語, 第3章.消費社会の負の側面--個人化 第1節.消費市場の多様化とその結果 第2節.個人化の行き過ぎ(1) 第3節.個人化の行き過ぎ(2), 第4章.つながりと自律 第1節.何が問題なのか 第2節.理論的枠組みと事例を手掛かりに 第3節.つながりと自律の関係づけ, 注, 参考文献[抄録] 1980年代頃から、日本人女性の間で、英語が私的生活および職業生活における自己を確立する際の手段として捉えられている。しかし、その背景を探ると、消費社会が女性たちに英語へと駆り立てる過程が見えてくる。一個人としてのアイデンティティーの提示を迫られ、英語をその手段とし、奮闘するものの、女性たちの間ではいくつもの溝が生じている。さらに、昨今の自己責任の風潮のもとでは、その溝を埋めることができないことから閉塞感が漂っている。本論文では、英語による私的成就の危険性を考え、先行研究であるベラーの「心の習慣』に依拠しつつ、解決の手がかりを探す。 [Abstract] Since the 1980's, some of the Japanese women have regarded English as the tool, which they believe might enable them to establish their identity in their private life or their careers. However, considering the background, it turns out that consumer society has urged them to learn English or have the fine command of English. They try to do so, and unexpectedly there are various gaps among them. Besides, these gaps have brought us depression and the like, under the strong feeling that one must be responsible for one's selections or decisions. I suspect that selecting or leaning English only for the aim of establishing one's identity can be dangerous. In this paper I try to solve these problems, mainly referring to "HABITS OF THE HEART" by Robert Bellah.