著者
大川 玲子
出版者
明治学院大学国際学部
雑誌
明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review International & regional studies (ISSN:0918984X)
巻号頁・発行日
no.31, pp.33-54, 2007-03-28

本稿ではインターネット上のイスラーム系ウェブサイトで行われているファトワー問答を資料として,現代の若者ムスリムがクルアーンをどのように認識し, 実際に関わっているのか, つまりその聖典観を明らかにすることを試みた。インターネットには世界中からアクセスがなされるため, 多様な出自の者たちの状況がうかがえるが, そこで共通して見られるのは理想と現実の乖離である。ファトワーを求める者たちは, クルアーンをアラビア語で正確に読み, 理解し, 礼節をもって扱いたいと望んでいるが, 現実にはそれは難しいため, 困惑し質問する。アラビア語を母語としていない, クルアーンをぞんざいに扱うかもしれない異教徒と接する, 気楽な状態でクルアーン読誦を聞きたいなど, さまざまな環境にいる者が存在するためである。彼/彼女たちはこういった乖離の状態のなかで, ムスリムとしてのあるべき正しい姿を模索しているわけだが, その背景にはクルアーンを読誦することで神からの罰ではなく報酬を得ることを願う意識が見られるのである。【研究ノート/Research Note】

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"ムスリムが身近な共同体のなかで模範となり信頼できる回答を得ることができなくなっている""非ムスリム国に住む場合であっても, そうでなくても""新しいメディアで活躍する宗教知識人を頼りにする" →興味深い。

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