著者
村石 正行
出版者
三田史学会
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.39-58, 2013-04

論文はじめに一 京都における小笠原長時二 三好長慶政権と小笠原長時三 織田信長政権における小笠原氏の立場結語

言及状況

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武田晴信によって信濃を追われた小笠原長時父子は遅くとも弘治の初め頃には上洛していたようです。時期的に将軍ではなく長慶を頼ってきたことが窺えます。永禄2年頃に長慶の病状を醍醐寺に伝える書状が残っているそうで、両者の関係が深いことは間違いない。こちらの論文参照 https://t.co/R0bjL3gGDO
@holy_sengoku 将軍義輝は帰京以来、少なくとも永禄5年の教興寺の戦いまでは三好政権と協調関係にあり、三好家と上杉家の関係も決して悪くはありませんでした。永禄4年の小笠原長時・貞虎父子の旧領復帰を巡って両者は提携しています。https://t.co/R0bjL3gGDO
@holy_sengoku 「真田丸」から強引に三好トークに持ち込んでみました。情報源は主にこちらの論文→ 村石正行「小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流」https://t.co/R0bjL3gGDO
2 2 https://t.co/ai2J9DBjEO
1 1 https://t.co/w9FYT6KStj
CiNii 論文 -  小笠原長時の外交活動と同名氏族間交流 https://t.co/EPeTucdPZ3 #CiNii

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