k-holy (@holy_sengoku)

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堺北荘代官としての香西之長に言及した論文がありました。北荘内に設置された率分関の警固役として、領主の香西之長が補任されたとのこと。本所は万里小路家、代官職は勝元の母・阿茶子女で、得分は両者で折半されたが、警固役はそれぞれから5分の1を得る契約だったとか。 https://t.co/riP2NHOctA
細川駿河守家の系譜については、こちらの木下聡先生の論文で少し解説されています。尹賢の後、駿河守家は弟が継いだとのこと。この弟が、義稙期や義晴期の御供衆に見える「細川駿河守」、大永から享禄頃の「細川駿河入道宗寅」に当たるようです。 https://t.co/u0aCtGcZlK
かつて香西元長は堺北荘の代官職を得ていましたので、晴元期の香西元成がその後を継いでいた可能性があります。また、こちらの論文によると、天文5年11月には本願寺が「堺香西」およびその配下の「堺北荘政所」西山氏と音信しているとのこと。かなり早い時期ですね。 https://t.co/ecDH3KAnOm
将軍義稙贔屓な僕としては、細川澄賢といえば、永正18年4月3日に藤林氏に宛てた軍勢催促状が熱いです。淡路出奔中の将軍義稙が聡明殿(晴元)の供奉で近いうちに上洛するぞって内容で、当時の澄賢の地位が窺えるもの。こちらの論文史料9に、画像と翻刻が掲載されています。 https://t.co/LOLcBIzP6N
『麒麟がくる』で近衛前久に興味を持った方、ぜひその勢いでこちらの論文もどうぞ。前久が著した鷹書で歌書としても流布した『鷹百首』の鷹詞に関する注記において、最も多く引用されているのが、将軍義晴の管領を務めた細川高国による武家故実書『諸木抄』だそうです。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
有馬元家の参考論文です。 https://t.co/prF87JfDsf

2 0 0 0 OA 淡路常盤草

なお『淡路常磐草』は仲野安雄という人が書き、明治20年に出版されたもののようですが、NDLで閲覧可能でした。こちらが該当箇所です。 https://t.co/J8ax5xVNIG
細川高国と小笠原稙盛の関係のソースはこちらの論文。高国が小笠原流弓馬故実および鷹狩の伝承に果たした役割の大きさがよく分かる内容です。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
論文はこちらを紙に印刷して再読中です。やっぱり印刷して枕元に置かないと、頭に入ってきませんよね。(スマホがあればそうでもないのかな?) https://t.co/cEPkruBPB3
出奔した前将軍義稙と大内義興の連携を見出すとともに、永正13年とされてきた島津氏による三宅国秀の殺害事件を義稙vs義晴の構図で捉え、義稙政権が崩壊した永正18年から、大内義隆と義晴政権の和睦が成立する享禄3年までの間に起きた事件と推測されている方もいます。 https://t.co/iRrL8WsPTW
RT @truetrueno111: 堺の解説にあった「大内氏の滅亡により、遣明船貿易が断絶する」 大内氏と遣明船…こんな研究が。勘合の意味が良くわかります。遣明船と言えば一条氏も。 CiNii 論文 -  「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣 https://t.co/5ebu…
こちらも義稙関連情報を含む論文。飛鳥井家からの『和歌条々』と『蹴鞠条々』の武家への伝授者リスト、飛鳥井雅俊から永正8年2月の義稙に次いで、永正12年2月には畠山順光に『和歌条々』が伝授されているのが個人的ポイント。 https://t.co/BCm3Mfn62p
最近、こんな論文が公開されているのに気付きました。義晴期の内談衆などはよく知られてますが、その前提となる義稙期の幕府の法と訴訟制度を考察されています。素人には難解な内容ですが、義稙前期と後期、そして義晴期の審理手続きの違いにも注目されていて、興味深いです。 https://t.co/JQcbHkeCuT
TLでも何度か話題に上っていた論文ですが、室町期から戦国期にかけての家格意識を考える上で必読の内容でした。戦国期に至ってもなお足利一門と非足利一門間の格差が認識されていた事実を提示されています。それが、将軍自身の実力者優遇によって結果的に壊されたという流れ。 https://t.co/a4rDexOnrd
『日本史のまめまめしい知識 第1巻』木下聡先生の「室町幕府において将軍直臣に対して将軍以外が名前の一字を与えること」を読んで気になっていた、伊勢氏から「貞」字を授与されている奉公衆や在国被官に関して、興味深い論文。先行研究を辿る道標としても参考になりそう。 https://t.co/zCnHtHSvR8
この一件は、水野恭一郎先生の『赤松被官浦上氏についての一考察―浦上則宗を中心に―』でも、守護を凌ぐ守護代層の武将たちの実力を示す事象の一つとして引用されていますね。(「依貧乏不可叶」でWeb検索してヒット。確かに印象的なフレーズです。笑) https://t.co/8gP2x4rJSg
というわけで、読み忘れていたこれを読んでいるところです。前提となる『戦国期細川権力の研究』はWebで公開済みの論文を除いてほぼ未読なので、あれですけど……。 https://t.co/Gkf8XiOkH2

5 0 0 0 OA 続群書類従

続群書類従武家部を読んでいて偶然にも、伊勢下総守貞久が著したという『道照愚草』に、永正17年5月2日に三好之長が澄元の代理として将軍義稙の元へ出仕した際の記録を見つけました。澄元方の上洛を赤松義村が仲介し、義村の使者が伊勢貞陸に証文を渡したことも書かれてます。 https://t.co/RExMIVYhMd

5 0 0 0 OA 続群書類従

「むらさきしりかい」(紫尻繋?)に関する覚書で、大永元年3月5日の犬追物の際、細川高国へ「公方様よりならの御ひたゝれとむらさきのそめわけの御しりかいを拝領候て」云々とあるけど、改元前なので大永ではなく永正18年、そしてこの日付は義稙出奔の2日前。事実かな? https://t.co/X99CmGGA2h

5 0 0 0 OA 続群書類従

Twitter検索で、続群書類従武家部に収められている『伊勢貞助雑記』がNDLで読めることを知りました。「大唐の勘合はかり大内義興再興被申。其勘合ハ大内家に被預置訖。是は各別之儀候。」とか書いてる。礼法といっても、結構その時々の細々とした事を書き残してるんですね。 https://t.co/w1oBSbsIBn
赤松関係を検索していて見つけた論文。赤松氏が始めた松囃子が武家による手猿楽を定着させた流れが解説されています。京兆家評定衆の秋庭元重が伊勢貞頼も認める手猿楽の名手だったとか、天文21年の将軍帰洛時の御能では三好内衆も出演したとか、個人的に興味深い話が色々と。 https://t.co/Lur4XKto6N
RT @washou3956: メモ。阿部匡伯「十河一存の畿内活動と三好権力」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』41、2019年)※「十河一存」の読みは「そごうかずまさ」。なお、同誌はいずれ龍谷大学の機関リポジトリで公開する。https://t.co/sTVl4y2jeQ #こ…

3 0 0 0 OA 春霞集

『春霞集』は国立国会図書館デジタルコレクションでも読めます。里村紹巴の評はこちらのページに。 https://t.co/29YDOMabLM
RT @shima_126: @raisoku_123 どうも先日からイチャモンおじさんみたいになってて恐縮ですが、元常と藤孝に養子関係はない、ということですね。学術論文になってしまいますけど、山田康弘「細川幽斎の養父について」(『日本歴史』730)をお読みいただければ納得いた…
ただ、六角討伐の初頭で山内政綱を騙し討ちに近いやり方で殺した件や、石原比伊呂先生のこちらの論文を読んで、更に見る目が変わったんですが。あ、天然で煽っちゃうだけじゃないんだって。(←失礼) https://t.co/K3o4bl0vtD
RT @merontomikan: 戦国期土岐・後斎藤氏の美濃支配 : 用水相論を事例にThe Domination of Mino Province by the Toki Clan and the Go-Saitoh Clan in the Sengoku Period :…
RT @merontomikan: なんかバズっている!300いいねを超えそう!Twitter始めて以来初めて
馬部先生によると、長洲庄の関連史料に頻出する藤岡秀友(藤岡後藤次)という人物は、薬師寺長盛の右筆を務めていたとのこと。藤岡氏は京兆家から配属された寄子であり、淀城の城主でもあった。多分これが『後法興院記』永正元年9月6日にある「与一在淀藤岡城」の件。 https://t.co/iFJxbePJft
もう一方の京都小笠原氏庶流、政清弟・元清から始まる刑部少輔家も義澄の近江落行に従ったらしく、永正8年5月(船岡山合戦の直前)に元清の子・元宗が義澄の使者として豊後大友氏の元を訪れたようです。元宗は永正4年4月に大友氏が催した犬追物で検見を務めているそうで。 https://t.co/bMhrxu4wKE
犬追物の実際は、こちらの論文に詳しく解説されていました。数日に渡る催行には河原者が多数動員され、犬の調達も大変だったようですが、桟敷を設けて見物料を徴収し、経費を回収できたそうで。最終日には参加者が蔭凉軒に集まって、余った犬を食べたという話も興味深いです。 https://t.co/gK0DtYeaic
近衛前久は織田信長と鷹狩を通じて交流したことで有名ですが、こちらの論文によると、前久が著した鷹書でたびたび引用されている『諸木抄』は、細川高国が著した武家故実書だそうです。高国は幼少の頃より将軍の弓馬師範を務めていた小笠原政清・尚清父子に師事。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
伊勢貞仍の歌集『下つふさ集』は義尹(義稙)の動向を知る上でも重要とのこと。こちらの川岡勉先生の『戦国期但馬の守護と領主』では、貞仍が義尹の命で山陰地域の守護所を訪ねて但馬に立ち寄った件と、当時の山名氏に起きていた内乱について解説されています。 https://t.co/6flgde3FJD
これらの傍証も、永正17年以降の義稙と高国は対立を深めていったとする通説に従うなら、別の解釈になりそうではありますが。こちらの『画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史』でも、義村-義稙&澄元(&義興) vs 村宗-義晴&高国 という対立構図を前提とされていますね。 https://t.co/EG8f0hP4lR
なお、赤松則実と伊勢貞陸や大内義興のやり取りの件は、こちらの『画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史』でも触れられていました。義興は在国の身でありながら、争いを調停する姿勢を示しているとのことで、事実であれば義興は義稙を見捨てて去った説は妥当ではないことに!? https://t.co/EG8f0hP4lR
足利義輝の鎧姿とくれば、まず連想するのは、足利将軍家重代の鎧「御小袖」のこと。『江陽屋形年譜』が永禄の変における義輝の御小袖着用を伝えているそうですが、同時代史料によると、御小袖の唐櫃は伊勢貞助に警固されて禁中に預けられ、その後は三好家が管理したようです。 https://t.co/mzilAMvfCI
現代では松永久秀の最期といえば爆死で有名になってますが、早田玄洞『臨終壮快譚 死生超脱』(明治35年)には、宿痾の中風が発症して無様な姿を晒してはいけないと、百会(頭の天辺のツボ)に点灸しつつ自刃したという美談が取り上げられています。爆死はその発展型かな? https://t.co/3BwXnsqaR6
CiNiiではこちらの『史学雑誌』の論文紹介で少し触れられていたものがヒットしましたが、「新出の笠袋・鞍覆免許に関する畠山順光書状三点」とのことで、なんと大永元年に出奔中の義稙から実如側近の頼慶に対して出されたもののようです。めっちゃ気になる…。 https://t.co/PGZ9T6I03d
RT @quiriu_pino: 「こんな論文が出てたんだ~」その② というか、雑誌をはじめて知るパターン 進藤 和子「宗長の日記・紀行から見る室町時代の潮湯と温泉の考察」 温泉地域研究 (33), 49-54, 2019-09 https://t.co/aQgfPV4voV
@gutter_ballet_ こちらの論文によると細川政誠は、明応の政変後も文亀3年まで毎年のように近衛家へ年末年始の挨拶に訪れているそうで、註によると子息の誠久は明応2年2月1日に弥五郎、文亀3年7月23日に治部少輔、永正元年12月27日に伊豆守を名乗っていたとあります。が、これも…。 https://t.co/mPj5cK5FSD
@gutter_ballet_ であれば、こちらの論文の史料に一色七郎、本郷与三郎と共に近衛家を訪れて遊興したという細川治部少輔も、政誠ではなさそう。一色式部少輔、本郷宮内少輔ら奉公衆の同僚のようで、これが永正年間に比定されている益田治部少輔(宗兼)宛書状の細川治部少輔誠久でしょうか。 https://t.co/B0kIvEqbkz
彦部国直が近衛政家の准后宣下の費用を全額負担したことから政家の娘を後室に迎えたとする、桐生彦部家の伝承に対して、近衛家側からの検証の参考になりそうな論文。近衛政家の人脈および経済基盤について論じられたもの。 https://t.co/B0kIvEqbkz
また、松島周一先生によると、永和3年(1377)に作成された、三河国額田郡に散財する幕府御料所のうち山中郷の名寄帳の作成者として「彦部四郎左衛門尉」(彦部忠春)が見えるとのこと。 https://t.co/qB7zrJGuzb
国直・晴直父子の頃の直近の奉公衆としての彦部氏は、将軍義材が河内征伐に際して番衆を再編したものと推測されている「東山殿時代大名外様附」の交名によると、三番衆に「彦部左京亮、同四郎左衛門尉、同下総守」、四番衆に「彦部次郎左衛門尉」の名があるようです。 https://t.co/e4hsThmRFh
彦部晴直(彦部雅楽頭)は、永禄の変では嫡子らしい孫四郎と共に討死していますが、それ以前に近衛前嗣の関東下向に同行した次子・信勝が桐生広沢郷に土着し、その跡を伝えたようです。近世の桐生彦部家に伝わった由緒については、関連論文がありました。 https://t.co/k8hNigTpdh
田中克行『村の「半済」と戦乱・徳政一揆 : 戦国期京都近郊村落の連帯と武力動員』こちらも、薬師寺元一の乱関連で見つけたもの。 https://t.co/IjsPa65QeX
神田千里『土一揆像の再検討』武士の抗争に参加する土一揆と足軽の共通性などを多数の例から考察され、幕府の分裂抗争に連動して起きた動きでも、国人より更に下層の人々、いわゆる地下人の動向を知るのに良さそうな内容。京兆家関連も結構出てきます。 https://t.co/fFKxAlG6Cm

2 0 0 0 細川千句考

鶴崎裕雄『細川千句考』細川勝元の時代から毎年2月25日に京兆家が主催する連歌会があったそうで。『戦国摂津の下克上』で長享2年3月に能勢頼則が主催した『摂津千句』で河原林正頼が列席しているという話が気になったんですが、そういう背景があった訳ですね。 https://t.co/o9HvnXQqEY
鶴崎裕雄『新出連歌資料 「(仮題) 天文三好千句三つ物」』こちらも三好関連の続きっぽい論文? https://t.co/uvQiK0S8Gb
鶴崎裕雄『「瀧山千句」と三好長慶』連歌の論文を多く書かれている鶴崎先生、特に三好贔屓の方には天文11年から永禄7年にかけて催された連歌会の参加者リスト「三好長慶連歌一覧」が必見ですね。個人的には天文11年6月11日の「榎列三好神五郎興行」が気になりました。 https://t.co/0SaNvq57Mz
浅井美峰『肖柏と池田氏 ―連歌師と千句連歌主催者の関係について―』連歌方面はあまり読み込んでなかったんですが、京兆家や摂津国人が主催する連歌会を扱った論文は結構あるんですね。河原林マニアとしてもチェックしておきたい。 https://t.co/tAv7psWXjF
Webで読める京兆家と摂津国人の関係論文で気になったものをいくつか。森田恭二「摂津国人茨木氏の盛衰」 https://t.co/xnw9WX1uak
@sundayhistorian ありがとうございます。中世の瓦林氏と日野神社の繋がりについて、1971年発行の造園雑誌に掲載されたという 渡辺達三『近世広場の成立と展間I:鎮守の杜の成立と展開』を見つけたんですが、確認したところこちらの論文でも「封建社会の農民構造」を参照されていました。 https://t.co/DfQlju6x91
瓦林氏メインではありませんが、検索で見つけた藤原正義先生の『宗祗序説 : 出自について』は、『高代寺日記』等から宗祇・宗長と池田・塩川・能勢氏の交流が解説され、戦国前期の畿内史に興味ある方には面白そうな内容でした。享禄・天文期の争乱に関する記述も。 https://t.co/Pgoe5W7AqD
遅ればせながら馬部先生の柳本甚次郎論文を読んだら、思いがけず瓦林在時の名が。享禄4年3月に京都を退去した柳本勢が再び吉祥院城に攻め寄せた4月25日、高国方に「自山崎薬師寺・河原林等責入之間、従城打出悉逐散云々」「河原林・阿部等上洛、忽如此、大略皆滅亡云々」と。 https://t.co/wtxtPNX8o0
RT @quiriu_pino: こんな論文が出てたようです。 飛鳥井 拓「片山文書」と丹波国和知荘片山氏の動向」 丹波 / 丹波史談会 編 (20):2018 p.20-43 https://t.co/PL7Uff2KaL
RT @quiriu_pino: 同じ号にはこれも。 若江 茂「丹波国世木荘の湯浅氏と殿田城址」 丹波 (20), 8-19, 2018 https://t.co/Osl2GGUjFi
松島周一先生の『延徳三・四年の織田敏定と細川政元』(https://t.co/vnTPF3s8oQ)や、石原比伊呂先生の『笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣』(https://t.co/K3o4bl0vtD)を読んだ上で、今のところは明応の政変に至る義材と政元の関係をそんな風に捉えています。
松島周一先生の『延徳三・四年の織田敏定と細川政元』(https://t.co/vnTPF3s8oQ)や、石原比伊呂先生の『笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣』(https://t.co/K3o4bl0vtD)を読んだ上で、今のところは明応の政変に至る義材と政元の関係をそんな風に捉えています。
誕生祈祷といえば、こんな論文もありました。近代以前の日本には誕生日を毎年祝う習慣はない、というのが通説だったそうで。近世が中心ですが、将軍に限らず様々な階層の誕生日にまつわる習慣を検討されています。(戦国期では京兆家以外、他地域での例はあるんでしょうか?) https://t.co/NdJ0lp0bex
先の論文で使われている蛸地蔵伝承関連の史料紹介。『天性寺聖地蔵尊縁起』絵巻からの翻刻あり。「天正年中に、松浦肥前守殿此城主たる時、紀州根来雑賀の逆党にはかに軍を起して、当国に馳入城に押寄たり、城主元来軍謀を究め」と、松浦肥前守を称える言葉は一応ありました。 https://t.co/97vt8nAcjy
『蛸地蔵縁起絵巻』になぜ当時すでに死去していたと思われる「松浦肥前守」が城主として登場するのかを、いくつかの蛸地蔵伝承との異同から考察されている論文がありました。しかし、ここでも松浦肥前守=松浦守との解釈に留まり、松浦光の存在は認識されていないようです。 https://t.co/0umYTNitun
"武衛三位入道"で検索して見つけた、石原比伊呂先生の論文。足利義材と笙始の話は以前に読みましたが、その続きとなる内容のようです。斯波氏は雅楽に造詣が深く、笙師範の豊原氏とも交流があり、義敏は延徳4年に後土御門天皇が催した「逆修御懺法」でも雅楽を聴聞しに現れた。https://t.co/K3o4bl0vtD
甲賀の山中氏といえば、こちらの論文がWebでも読めます。山中氏と京兆家の接触は、永正4年6月に澄元派が澄之派の襲撃を受けて山中新左衛門の城へ逃れた件が史料上の初見とのこと。そして、永正10年の将軍義尹出奔で細川尹賢が山中氏を攻めたらしいことにも触れられています。 https://t.co/FVgPbQ4vPc https://t.co/WHOyRhMq1J
畠山尚順を匿った疑惑で上原元秀により追い落とされた住吉大社の神主「津守国則」で検索して見つけた論文。堺の北荘と南荘が京兆家の支配下に入った経緯など分かりやすく解説されていました。北荘は摂津国で香西氏、南荘は和泉国で安富氏と、国も違えば代官も違ったんですね。 https://t.co/ecDH3KiMpM
「寺町太郎左衛門」で検索していて見つけた、馬部隆弘先生の論文。昨年発売の鈍器1号にも収録されていますが、Webでも読めたんですね。浜口誠至先生の「細川京兆家奉行人奉書による幕政の補完と代行」に続く内容のようで、冒頭のまとめも参考になります。安富元家情報もあり。 https://t.co/iFJxbePJft
『不問物語』の元ネタについて、和田英道先生の『細川氏関係軍記考(一)』を確認しましたが、『細川政元記』と『松若物語』(瓦林政頼記)の記事を切り貼りした作品とのこと。『細川両家記』が元ネタって話はどこで見たんだっけ…? https://t.co/sDOluT0LRs https://t.co/MfUL1FuOVR
三宅国秀は遣明船について調べていて知った人物ですが、遣明船といえばこちらの論文も面白かったです。天文年間の遣明船を推進したのは誰だったのか、とか。畿内戦国史をある程度ご存知の方には、楽しめる内容かと。 https://t.co/cEPkruBPB3
田中慶治「国人古市氏の馬借・関支配について―南山城を中心にして―」では、胤仙・経覚の馬借一揆への関わりと、胤栄の南山城への進出と関所支配、その実績を背景として明応の政変後に山城守護代に補任されたことが解説されています。 https://t.co/emBj9VBtgX
古市氏に関連する論文、いくつかはWebでも読めます。中村修也「『経覚私要鈔』の茶」では、古市氏と経覚の関係、特に『応仁の乱』では記述の少ない胤仙の動向や、古市氏が催した「林間」について解説されています。『経覚私要鈔』内の茶に関する記述の一覧表も。 https://t.co/OQl55LPd4H
この延徳3年8月を転機とした情勢変化を踏まえて「延徳三・四年の織田敏定と細川政元」を読む。追い詰められていたのは政元の方で、安富元家が面目を失ったとされる件は、六角討伐に消極的な政元の意向を汲まず奮闘した元家が「御代官」を解任されたことを指すとの指摘に納得。 https://t.co/vnTPF3s8oQ
最近、室町後期と戦国時代の畿内史が自分の中でようやく繋がってきた実感がありますが、こちらの論文も面白かったです。摂津西成郡、中島城といえば典厩家ですが、嘉吉の乱で分郡守護が赤松家から没収され御料所となり、細川持賢が代官に任命されたのが始まりだったという話。 https://t.co/tjQbCbU2WM

8 0 0 0 IR 自牧宗湛(上)

『自牧宗湛』(上・中・下)もおすすめです。将軍義政の御用絵師・宗湛の動向を追うものですが、蔭涼軒主の季瓊真蘂、浦上則宗&多賀高忠の所司代コンビなど義政側近グループ(?)の、有馬温泉での湯治休暇の様子が窺えて面白い。文正の政変の約半年前のこと。資料編が充実。 https://t.co/G2QrBbMq2p
それにしても聚光院論文の註、論旨の補足だけでなく様々な推測や疑問がそのまま書かれていて面白い。普通は省略されるような情報かもしれませんが、素人としては学びが多くて嬉しい。綿田稔先生、美術史専門だからこそ想定読者に向けて丁寧に説明されているのかな? https://t.co/5MNmrZZkEi
梅仙軒も同様の感想を述べてますが、『言継卿記』にも政変を報じた記事に「阿州之武家可有御上洛云々」とあり、義輝殺害と連動して阿波公方上洛が疑われた。こちらの論文では、義輝は義栄を養子に迎えるよう三好方から要請され、拒否したのかもしれないと推測されていますね。 https://t.co/Orz3K5YIh8
それが史実か否かは問わず、政長の遺品としての由緒を持つ「宗三左文字」が存在した可能性を指摘。その上で、豊臣秀吉は信長が愛用したことで知られる「義元左文字」の由緒を加えて、後継者としての正統性を担保したのではないかと推測。由緒を鵜呑みにする現状への問題提起。 https://t.co/zFCF1JlinH
RT @yougoha: 馬部先生の「名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実」(大阪大谷大学紀要53)、いつの間にか公開されとるやん! https://t.co/za7AwszGW2
武田晴信によって信濃を追われた小笠原長時父子は遅くとも弘治の初め頃には上洛していたようです。時期的に将軍ではなく長慶を頼ってきたことが窺えます。永禄2年頃に長慶の病状を醍醐寺に伝える書状が残っているそうで、両者の関係が深いことは間違いない。こちらの論文参照 https://t.co/R0bjL3gGDO
伊勢貞孝の失脚については以前 @peraperavit さんが、三好側の意向が強く働いた可能性が高いのではと考察されていましたが (https://t.co/BoaPqoLYXn) こちらの論文にも同様の意見がありますね。 https://t.co/u6dvAV0z1Y
興味深い論文。三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院の成立経緯を考察されていますが、永禄の変前後の三好家の状況を把握して丁寧に書かれています。三好家について先行研究だけでなく東大史料編纂所のDBで独自に調査されたとのことで、註での考察も充実していて学びが多い。 https://t.co/5MNmrZZkEi
小谷量子先生の洛中洛外図屏風関連の論文、義晴から義輝期の将軍家周辺を学ぶ上で視点を広げられて良いと思う。屏風の解釈は通説に対してラディカルというか、素人には分からないところが多いけども。Webでは『近衛氏の生涯』のほか、博士論文の要旨が読めますね。 https://t.co/tCjKgGErtC
RT @yougoha: CiNii 論文 -  上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯 https://t.co/2GLQTsxMUo #CiNii そういやこの論文では久我晴通が義輝母慶寿院に「世上之儀」を諫言するも受け入れられず遁世した件について、直前に義輝と長慶が決裂…
嘉吉の乱から赤松家再興の流れを改めて追って今更ながら知りましたが、管領執政から将軍義政親政に移行し、伊勢守の権限拡大と反比例して管領の役割が形骸化したとの見方があるんですね。そこに文正の政変で伊勢貞親が失脚、応仁の大乱で義政は傍観者の立場に追い込まれたと。 https://t.co/asBaNDYrKs
RT @akaiosorani: 愛宕山勝軍地蔵信仰の形成 : 中世神仏習合像の一形態 https://t.co/GTd0u5dHhb 愛宕山で勝軍地蔵の信仰がみえるのは15世紀後半以降、ということで細川政元(ともちろん司箭院興仙)が契機ではないのか、という想定が為されている

2 0 0 0 IR 自牧宗湛(中)

続いて『自牧宗湛(中)』で解説も読めましたが…「翌七日、またしても江見河原入道が太平記を読み始めた」「宗湛を含む南辺の面々はよほど退屈だったのであろう、結託して座を逃れた(季瓊のところへ避難した)」『蔭涼軒日録』面白い。ちなみに江見河原も季瓊も赤松関係者。 https://t.co/wbMjz81Ke6

8 0 0 0 IR 自牧宗湛(上)

浦上則宗が有馬温泉での湯治中に鼓ヶ滝で叫んだ話、『蔭涼軒日録』文正元年閏二月八日条からのようです。こちらの論文『自牧宗湛(上)』史料85にて該当箇所が読めました。「俗曰鼓瀑高声叫。即瀑水急落云。仍浦上美作守往于瀑而再三叫。人皆笑之。」休暇中の微笑ましい一場面 https://t.co/G2QrBbMq2p
赤松満政の乱もあるけど、森茂暁先生の論文を読んだ限り、将軍義教の申次として権勢を得ていた満政は敵も多かったろうし、そもそも嘉吉の変の発端が義教による満政への過剰な肩入れという話もあるので、いずれは退場せざるを得なかったのかな。三郡没収は不当だとは思うけど。https://t.co/YBkIq1no9f
CiNiiの"赤松氏範"検索で気になった論文。代々の有馬家当主が氏範父子の追善料田として清水寺に寄進した「霜台田」の話でヒット?有馬持家の実名は教実とするべき(改名の可能性は否定せず)という話、赤松則尚の乱に荷担して失脚した「三魔」有馬元家のその後についても。 https://t.co/prF87JfDsf
Google Scholarで"赤松氏範"って検索したら、「農耕・畜産・山樵用具 -民具から歴史を探る-」って論文がヒットしたのが面白かった。「武器としての鉞」の一例として、太平記の赤松氏範が取り上げられてます。 https://t.co/Qv7RKQAXP0
延宝5年(1677)成立の『後太平記』では「片時の命を保たんため大甕の内に隠れて坐しけるに、敵是を捜し出し、情なくも刺殺し、首取つて差上げたれば」と、大甕の中に隠れたとあるものの、小童や瓜の話は省かれ、切腹ではなくその場で殺害されたことになってるようです。参考 https://t.co/IxGUfaqYCm
なお、『細川両家記』(下巻)が元亀4年(1573)、『足利季世記』が慶長5年(1600)前後、『重編応仁記』が宝永8年(1711)に成立とのこと。参考 https://t.co/rna6sKYoO7 https://t.co/yU0T89CePz https://t.co/P6ZBcFO4ru
なお、『細川両家記』(下巻)が元亀4年(1573)、『足利季世記』が慶長5年(1600)前後、『重編応仁記』が宝永8年(1711)に成立とのこと。参考 https://t.co/rna6sKYoO7 https://t.co/yU0T89CePz https://t.co/P6ZBcFO4ru
RT @washou3956: これについては池上裕子による書評(『史学雑誌』125‐7、2016年)も参照のこと。https://t.co/0ixJaFT5kj
@mtboxl あと将軍側の行動も、義輝自身ではなく母の慶寿院やその兄弟の意向に左右されていたとする研究もありますね。 小谷量子「上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯」 https://t.co/VsilZVfZLe
@mtboxl 2009年には田中信司先生が「親幕府路線は義長独特のもの」「三好長慶の志向と義長の志向とを各別して捉えていくべき」と訴えられていたようですね。 三好氏権力と末期室町幕府との関係について : 三好義長を考える https://t.co/65A2B83BVp その後、この視点であまり研究が進んでない状況でしょうか。
この築山氏と貫心流の関わりは分かりませんが、貫心流の隆盛とともに「河野通昭」の武名が広まっていたとすれば、祖先顕彰のために建てたものでしょうか。貫心流の系譜の参考資料 https://t.co/sBFHJY6qp6
山名と赤松の対立はその後もずーっと続くし、畠山尾州家と総州家の対立も続いていった一方で、守護代層の重臣同士の争いの中でフェードアウトしてった斯波義廉が哀れ…。でも斯波義敏の子の義寛は尾張守護代の織田敏定と共に朝倉家への巻き返しを続けるのです。こちら参考→ https://t.co/7O0gFLpWmk
RT @1059kanri: まあ目次見ただけでこんなの読みたくなりますね。備中高松城を毒ガス攻撃w 炭素太功記 https://t.co/MqRfcs0wuF https://t.co/7ahVwlUZ9p
@holy_sengoku 将軍義輝は帰京以来、少なくとも永禄5年の教興寺の戦いまでは三好政権と協調関係にあり、三好家と上杉家の関係も決して悪くはありませんでした。永禄4年の小笠原長時・貞虎父子の旧領復帰を巡って両者は提携しています。https://t.co/R0bjL3gGDO
また、松永弾正邸の賑やかな左義長の様子に何らかの意図が込められているとすれば、単純に三好・松永を対抗勢力と捉える将軍義輝が上杉謙信に彼らの排除を要請したと見るのも早計ではないかと。幕臣として久秀を義輝に近い志向とする評価もありますし。https://t.co/wBFleBVzrB https://t.co/SE8NKmKbi8
@holy_sengoku 小島道裕先生の本とこれで事前に予習して行ったので、上杉本洛中洛外図屏風をとても楽しく見ることができました。https://t.co/68rHNkn57s 確かに三好筑前邸は松永弾正邸の賑わいと比べて明らかに寂しい雰囲気で。京兆邸にも主人不在の描写。

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CiNii 論文 -  戦国大名分国における領主層の編成原理をめぐって https://t.co/m75Bz14B69 秀親の与力の話がある
詳しくはこちらの科研の報告書「越前朝倉氏」の項目で論じましたので、最寄りの図書館等でご覧になってください▼ https://t.co/VxjLBehLNg
メモ。阿部匡伯「十河一存の畿内活動と三好権力」(『龍谷大学大学院文学研究科紀要』41、2019年)※「十河一存」の読みは「そごうかずまさ」。なお、同誌はいずれ龍谷大学の機関リポジトリで公開する。https://t.co/sTVl4y2jeQ #こんな論文が出ていたようです
複雑で何とも形容し難い、この微妙なあり様を、とても繊細に描いてくれるだろうと思っています。 今日の参考文献は「戦国期美濃国における後斎藤氏権力の展開」です▼ 特に第1章・第3節「道三・義龍の二重権力」をご参照ください。 https://t.co/egN2tfa1yL
PDF公開&メモ。清水克行「室町期畿内における町場の構造」(『比較都市史研究』30-2、2011年)副題にもあるように、「経覚私要鈔」に描かれた大和国古市郷の構造を検討。『経覚〈人物叢書〉』に参考文献として引用されていたもの。ネット公開していたのは知らなかった。https://t.co/XccxZOrDwj
@raisoku_123 どうも先日からイチャモンおじさんみたいになってて恐縮ですが、元常と藤孝に養子関係はない、ということですね。学術論文になってしまいますけど、山田康弘「細川幽斎の養父について」(『日本歴史』730)をお読みいただければ納得いただけるかとhttps://t.co/TskJMs7VdI
「こんな論文が出てたんだ~」その② というか、雑誌をはじめて知るパターン 進藤 和子「宗長の日記・紀行から見る室町時代の潮湯と温泉の考察」 温泉地域研究 (33), 49-54, 2019-09 https://t.co/aQgfPV4voV
こんな論文が出てたようです。 飛鳥井 拓「片山文書」と丹波国和知荘片山氏の動向」 丹波 / 丹波史談会 編 (20):2018 p.20-43 https://t.co/PL7Uff2KaL
馬部隆弘「丹波片山家文書と守護代内藤国貞」https://t.co/mdzlpShuaf いつの間にかPDF公開されてました。 >史料にしばしば登場するも、何者なのかよくわからない人物が畿内の戦国史には非常に多く残されている 冒頭からそれなボタン連打したい勢い
石原比伊呂「笙器「達智門」にみる足利義材の近江出陣」(『聖心女子大学論叢』132、2018・12)https://t.co/VYqnkTdIPG PDFで読めます。
で、この矛盾を「元常の養子」に変えることで世代的には矛盾を無くしたのが18世紀成立の「御家譜」だったようなのだけど、それで思い出したのがこの藤孝の出自の移り変わり詳細に示してるこの論文 CiNii 論文 - 細川幽斎の出自について https://t.co/nma6aCXcCY #CiNii
PDF公開。石原比伊呂「室町後期の近衛家と他の摂家:近衛政家を中心に」(『聖心女子大学論叢』129、2017年6月)「九条流」と「近衛流」の二分類の有効性を検証するために、本稿では近衛政家期の近衛家と一条・九条・鷹司家の関係を復元。https://t.co/XBQG3gpajg
PDF公開。工藤克洋「戦国期における愛宕山五坊・山伏の諸国勧進」『同朋大学佛教文化研究所紀要』35(2016年3月)先行研究にて手つかずの戦国期愛宕山五坊の活動実態を明らかにしたうえで勧進活動を復元。中世後期勧進研究の課題にも言及。https://t.co/Cge5bLwVry
PDF公開。小谷量子「上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯」『日本女子大学大学院文学研究科紀要』23(2017年3月)「足利―近衛体制」の重要人物である慶寿院。上杉本洛中洛外図屏風注文者でもあり、上杉本理解のためにその生涯を考察。https://t.co/HUokUdrVQi
高橋遼「戦国期大和国における松永久秀の正当性」(『目白大学短期大学部研究紀要』52、2016)小沢長政や松永久秀といった外部勢力の大和国侵入によって、戦国期大和国内の権力関係がどのように変動したのか、特に興福寺との関係から検討。https://t.co/z7HwT35we8
そういえば国立国会図書館デジタルコレクションに、『真田幸村諸国漫遊記』という、幸村が水戸黄門のように全国をめぐる明治時代のなかなか不思議な小説が有ります。結構面白いですw https://t.co/2jw93E9VXB https://t.co/pDREoIlMn2

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RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(下) : 足利義満と斯波義将」 『文化學年報』68 (2019) https://t.co/3iTmDdnmYE
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(中) : 康暦の政変以降の政治過程と細川氏・山名氏・土岐氏」 『文化學年報』67 (2018) https://t.co/4ua8UZU9rd
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(上) : 康暦の政変以前の「斯波派」・「細川派」をめぐって」 『文化學年報』66 (2017) https://t.co/RDy3h8zocA
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CiNii 論文 -  山門公人の歴史的性格: 『砥園執行日記』の記事を中心に https://t.co/E1LOQHTlxk #CiNii
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RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒川嶋美貴子 「中世後期における「氏神」信仰と参詣 : 京都に生きた公家の信仰を中心に」 『文化學年報』65 (2016) https://t.co/0z1yOPqvac
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RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(中) : 康暦の政変以降の政治過程と細川氏・山名氏・土岐氏」 『文化學年報』67 (2018) https://t.co/4ua8UZU9rd
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(下) : 足利義満と斯波義将」 『文化學年報』68 (2019) https://t.co/3iTmDdnmYE
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒川嶋美貴子 「中世後期における「氏神」信仰と参詣 : 京都に生きた公家の信仰を中心に」 『文化學年報』65 (2016) https://t.co/0z1yOPqvac
RT @quiriu_pino: #こんな論文がありました pdf公開。鎌倉末期の臨済僧による密教兼学。 亀山 隆彦「『纂元面授』と『灌頂秘口決』 : 日本密教史における癡兀大慧の位置」 真宗文化 : 真宗文化研究所年報 (28), 1-20, 2019-03 https:/…
#こんな論文がありました pdf公開。鎌倉末期の臨済僧による密教兼学。 亀山 隆彦「『纂元面授』と『灌頂秘口決』 : 日本密教史における癡兀大慧の位置」 真宗文化 : 真宗文化研究所年報 (28), 1-20, 2019-03 https://t.co/0Q9R8fQkms
RT @quiriu_pino: #こんな論文がありました pdf公開。 牧野 千里「摂政藤原道長の随身員数について : 長和元年大嘗会御禊における随身新加の検討から」 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要. 史学編 (19), 55-75, 2020 https://t.co…
#こんな論文がありました pdf公開。 牧野 千里「摂政藤原道長の随身員数について : 長和元年大嘗会御禊における随身新加の検討から」 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要. 史学編 (19), 55-75, 2020 https://t.co/XMLMy1zr1P

41 4 3 0 OA 寛政重脩諸家譜

「かゝり加麻里」に「すて加麻里」か。https://t.co/7yW0vWAtug

2 1 1 0 OA 妻木戦記

さらに「妻木傳兵衛頼忠後傳入ト號ス」とある頼忠の肖像画まである。 https://t.co/q1F81QNQDM

2 1 1 0 OA 妻木戦記

広忠の弟で本能寺の変で信長方で戦死した頼知の子の惟知(日本六蔵、日東惟知)。肖像画もあるのか。 https://t.co/wTMPZiQ13D

2 1 1 0 OA 妻木戦記

これか「日東家其始め妻木藤右エ門尉源廣忠舎弟妻木長兵衛頼知(石伯)天正十午年六月二日京都にて戦死す其嫡男久右エ門惟知姓を日東と改め妻木傳兵衛尉頼忠臣と相成」 https://t.co/wtBRUJsBtu

2 1 1 0 OA 妻木戦記

メモ https://t.co/s0Or0fKEdW

2 1 1 0 OA 日本戦史

来週の例会に備えて勉強中。 た、担当幹事だものね
『近世日本国民史』には具体的な呼称は無いっぽい? https://t.co/MMrv54dLij
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏権力と流通 : 過所と荷留の事例から/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/am9LSoFVwM
RT @archivearticles: 問題提起 古河公方足利成氏の動向と常総の内海・水系/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/O1nJGBPyUQ
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏と水運/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/j9DPA8BZiO

47 47 47 0 OA 関ケ原

RT @noimago: 「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。

47 47 47 0 OA 関ケ原

RT @noimago: 「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏権力と流通 : 過所と荷留の事例から/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/am9LSoFVwM
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏と水運/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/j9DPA8BZiO
RT @archivearticles: 問題提起 古河公方足利成氏の動向と常総の内海・水系/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/O1nJGBPyUQ
RT @archivearticles: 問題提起 中世「村松」の水辺景観/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/NjsrdtSAKq
RT @archivearticles: 問題提起 中世仏教と内海世界 : 浄土真宗と真言律宗研究の展望/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/Es1nJP8d8a

47 47 47 0 OA 関ケ原

RT @noimago: 「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。

18 15 15 0 OA 日本剣豪列伝

RT @tonmanaangler: 同じ直木三十五「武勇伝雑話」に『島津独特の「すてがまり」といふ法で」とありますね。こっちは小説ではないから、直木三十五は事実だと認識してたのだと思われ。 https://t.co/sGzx11WBXz

18 15 15 0 OA 日本剣豪列伝

同じ直木三十五「武勇伝雑話」に『島津独特の「すてがまり」といふ法で」とありますね。こっちは小説ではないから、直木三十五は事実だと認識してたのだと思われ。 https://t.co/sGzx11WBXz

47 47 47 0 OA 関ケ原

「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。

4 2 2 0 OA 山陽名所記

そもそも、ここでいう「天皇」とは神武天皇なんだが、第7代孝霊天皇皇子の吉備津彦命が何でそこにいるんだ?「古書を按ずるに」とあるけど、本当にそんな古書あるのか? https://t.co/L7KuQlM2UE

3 3 3 0 OA 神代秘史百話

なお酒井勝軍は「神代秘史を一読すると、彼は正に葺不合第六十四代天皇の皇子であることが分つた」と書いてる。「神代秘史」とは偽書で有名な竹内文書のこと。 https://t.co/sKnP8ftXG2
RT @washou3956: 「「宋雅・雅世集」「雅世集I」「雅世集II」「雅世集III」「雅世卿百首」の本文及び校本を作成した。これらは、雅世全歌集・紀行・文事等を所収の『飛鳥井雅世全集本文篇』(仮称、近年刊行予定)の一部を成すものであり、「平成14年度研究成果報告書」とし…
RT @washou3956: CiNii 論文 -  飛鳥井雅世年譜稿(1) https://t.co/qbSDmdcsW4 #CiNii
RT @washou3956: 『室町前期における飛鳥井雅世の動静と文芸活動の基礎的研究』(千艘秋男研究代表者。科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書、2001度~2002年度、2003年5月刊行) 全207頁。所蔵館は東洋大学附属図書館だけ?「飛鳥井雅世年譜稿(二…
「「宋雅・雅世集」「雅世集I」「雅世集II」「雅世集III」「雅世卿百首」の本文及び校本を作成した。これらは、雅世全歌集・紀行・文事等を所収の『飛鳥井雅世全集本文篇』(仮称、近年刊行予定)の一部を成すものであり、「平成14年度研究成果報告書」として刊行予定である」https://t.co/u0AJum4Vez
『室町前期における飛鳥井雅世の動静と文芸活動の基礎的研究』(千艘秋男研究代表者。科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書、2001度~2002年度、2003年5月刊行) 全207頁。所蔵館は東洋大学附属図書館だけ?「飛鳥井雅世年譜稿(二)」は掲載されているかしらん。https://t.co/byYQZVpNYq
CiNii 論文 -  飛鳥井雅世年譜稿(1) https://t.co/qbSDmdcsW4 #CiNii

6 3 2 0 OA 光秀 : 戯曲

RT @noimago: @Toshirou_m 明智氏が書いた戯曲『光秀』の序に「煕子」という名前が出てきますね。https://t.co/VoEivplYlx

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RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(下) : 足利義満と斯波義将」 『文化學年報』68 (2019) https://t.co/3iTmDdnmYE
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(中) : 康暦の政変以降の政治過程と細川氏・山名氏・土岐氏」 『文化學年報』67 (2018) https://t.co/4ua8UZU9rd
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(上) : 康暦の政変以前の「斯波派」・「細川派」をめぐって」 『文化學年報』66 (2017) https://t.co/RDy3h8zocA
CiNii 論文 -  山門公人の歴史的性格: 『砥園執行日記』の記事を中心に https://t.co/E1LOQHTlxk #CiNii
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RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒川嶋美貴子 「中世後期における「氏神」信仰と参詣 : 京都に生きた公家の信仰を中心に」 『文化學年報』65 (2016) https://t.co/0z1yOPqvac
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RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒山田徹 「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(上) : 康暦の政変以前の「斯波派」・「細川派」をめぐって」 『文化學年報』66 (2017) https://t.co/RDy3h8zocA
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RT @holy_sengoku: 堺北荘代官としての香西之長に言及した論文がありました。北荘内に設置された率分関の警固役として、領主の香西之長が補任されたとのこと。本所は万里小路家、代官職は勝元の母・阿茶子女で、得分は両者で折半されたが、警固役はそれぞれから5分の1を得る契約…
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏権力と流通 : 過所と荷留の事例から/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/am9LSoFVwM
RT @archivearticles: 問題提起 古河公方足利成氏の動向と常総の内海・水系/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/O1nJGBPyUQ
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏と水運/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/j9DPA8BZiO
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏権力と流通 : 過所と荷留の事例から/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/am9LSoFVwM
RT @archivearticles: 問題提起 戦国期佐竹氏と水運/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/j9DPA8BZiO
RT @archivearticles: 問題提起 古河公方足利成氏の動向と常総の内海・水系/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/O1nJGBPyUQ
RT @archivearticles: 問題提起 中世「村松」の水辺景観/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/NjsrdtSAKq
RT @archivearticles: 問題提起 中世仏教と内海世界 : 浄土真宗と真言律宗研究の展望/ . 地方史研究 (via CiNii Articles). https://t.co/Es1nJP8d8a

47 47 47 0 OA 関ケ原

RT @noimago: 「捨伏(すてがまり)」が登場する、直木三十五の『関ヶ原』。https://t.co/KfBOjdAlml これは昭和7年に春陽堂から刊行された版だが、前年の昭和6年に早稲田大学から刊行されているようなので、できればそちらも確認したい。

18 15 15 0 OA 日本剣豪列伝

RT @tonmanaangler: 同じ直木三十五「武勇伝雑話」に『島津独特の「すてがまり」といふ法で」とありますね。こっちは小説ではないから、直木三十五は事実だと認識してたのだと思われ。 https://t.co/sGzx11WBXz

17 17 17 0 OA 大日本史料

RT @bkhn_tisi: 国立国会図書館のデジタルコレクションでも『大日本史料』を見ることができます。 史料編纂所のHPで『大日本史料』が見れることはよく知られていますが、実はこちらでも見ることができます。こちらでは、本の体裁で見ることができますよ。 https://t.…
RT @shirok_notfound: やっぱ自民党すげえ。 「2010年代の自民党の情報発信手法と戦略に関する研究」 https://t.co/w21o5DEFhb
RT @washou3956: 「「宋雅・雅世集」「雅世集I」「雅世集II」「雅世集III」「雅世卿百首」の本文及び校本を作成した。これらは、雅世全歌集・紀行・文事等を所収の『飛鳥井雅世全集本文篇』(仮称、近年刊行予定)の一部を成すものであり、「平成14年度研究成果報告書」とし…
RT @washou3956: 『室町前期における飛鳥井雅世の動静と文芸活動の基礎的研究』(千艘秋男研究代表者。科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書、2001度~2002年度、2003年5月刊行) 全207頁。所蔵館は東洋大学附属図書館だけ?「飛鳥井雅世年譜稿(二…
RT @washou3956: 『室町前期における飛鳥井雅世の動静と文芸活動の基礎的研究』(千艘秋男研究代表者。科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書、2001度~2002年度、2003年5月刊行) 全207頁。所蔵館は東洋大学附属図書館だけ?「飛鳥井雅世年譜稿(二…

6 3 2 0 OA 光秀 : 戯曲

RT @noimago: @Toshirou_m 明智氏が書いた戯曲『光秀』の序に「煕子」という名前が出てきますね。https://t.co/VoEivplYlx