著者
山村 浩
出版者
東海大学海洋学部
雑誌
東海大学紀要. 海洋学部 (ISSN:13487620)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.11-16, 2012-07-20

ニーチェは『道徳の系譜学』の中で二種の道徳(奴隷道徳と貴族道徳)を挙げ,前者が被支配民のルサンチマンをもとに形成されるのに対し,後者は支配民の優越感情をもとに形成されると説明する.しかし貴族道徳をめぐるニーチェの記述にはいくつかの矛盾が認められる.それはニーチェの「距離のパトス」という概念自体に問題がひそんでいるからである.ニーチェは貴族的支配者の優越感情を「距離のパトス」と呼び,例として古代ローマの貴族を挙げる.しかし古代身分制のように,支配者と被支配者の間に絶対的な距離がある場合,支配者は被支配者に対して人間的関心を持たない.すなわちそこでは「パトス」という感情は生じ得ない.逆にいえば「距離のパトス」が生じるのは,支配者と被支配者の距離が相対的に狭まり,前者が後者の存在を意識するようになった時である.即ち被支配層の勃興によって支配層が危機意識を感じ,その反動で生じる屈折した優越感情こそ「距離のパトス」なのである.こうした概念上の問題が記述上の矛盾を引き起こしていると考えられる.

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