- 著者
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多ヶ谷 有子
- 出版者
- 関東学院大学[文学部]人文学会
- 雑誌
- 関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
- 巻号頁・発行日
- no.131, pp.75-102, 2014
江戸期およびそれ以前の日本の文学作品において、いかなる時刻がどのように表記されて来たかを検討する。『延喜式』、宇多・醍醐両天皇の日記、『拾芥抄』から、宮中では定時法の時刻が用いられていた。一方、『今昔物語集』『蜻蛉日記』から、不定時法の時刻が寺院および一般に用いられていた。江戸時代には定時法から不定時法採用になったと言われるが、定時・不定時の両法は、いずれも古代から継続して併用されていた。不定時法で解すべき古典の時刻を、定時法で解しているとの批判もなされている。近松『曽根崎心中』や西鶴『好色五人女』の「七つ」を例に考察する。近松『賢女手習』にある表現「400年に3日」は、グレゴリウス改暦時の文書に影響を受けた可能性がある。一般に時間帯を示す用法が多く、後記軍記の『豊鑑』までは、そうである。江戸期には、時間帯より特定時点を示す用法が多くなった(『膝栗毛』など)。時間帯と理解すべきであるとの主張もなされていた(滝沢馬琴『燕石雑志』)。