著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学人文学会紀要 = Bulletin of the Society of Humanities Kanto Gakuin University (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
no.135, pp.121-149, 2016

結城合戦で上杉を大将とする足利幕府軍に敗れた結城氏はいったん滅亡する。その結城家を再興したのは、結城合戦時の当主の結城氏朝の遺児である結城成朝であると最近の歴史概説の諸書は断定する。だが成朝は実は結城重臣の山川の子であるとの根強い説がある。一方成朝を擁立して、再興した鎌倉公方の足利成氏のもとを訪れたのは結城一族の多賀谷氏家であった。ここになぜ氏家が、裏切って上杉についた山川の子を命を懸けて抱いて戦場から脱出し、擁立したのかという謎が生じる。氏家の後見のもと、若い成朝は公方成氏の側近となり、成氏の命で関東管領上杉憲忠を謀殺する。爾後享徳の乱となって関東は乱れる。成朝は後年、多賀谷に謀殺されたとされる。ここになぜ多賀谷が、自ら擁立した成朝を殺したのかという謎が生じる。本稿は、結城家を再興した結城成朝は多賀谷氏家の実子であるとの仮説を提唱する。また成朝や次の氏広について、相容れない諸説が伝承されている。筆者は、結城を裏切った山川は幕府なり上杉の承認で結城家を継承しており、この山川側結城と、公方成氏に認められた多賀谷側結城の両系が並立し、後に山川側の結城成光が公方成氏の側近の成朝と同一視されて、伝承に混乱が生じたため、相容れない諸伝承となったと考える。
著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学人文学会紀要 (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
vol.133, pp.37-60,

ドラゴンなり龍が現実世界に登場する伝承は、洋の東西にある。中世英国を語る『ブリタニア列王伝』では、生贄にされかかった少年の日の魔術師マーリンが地下に住む赤龍(ブリトン人側)と白龍(侵略するサクソン人側)とが戦う現場を王に見せる。『マビノギオン』では、毎年五月祭前夜に恐ろしい竜が咆哮し災いをもたらすが、王者兄弟が蜜酒で酔わせて封ずる。日本のスサノオによるヤマタノオロチ退治では、オロチの尾から剣を得る。この剣が、天皇の神器のひとつとなったと信じられていた。政権が貴族から武士に移るという大変革をもたらした源平の合戦で、この神剣は幼帝とともに壇ノ浦に沈んで失われた。この変革に対し、『剣巻』は、源氏の名剣が源氏の棟梁である頼朝のもとに再び集まってめでたいと肯定する。『平家物語』は、沈んだのが神剣そのものか模剣であるか、版によって異なり、諸本でやや語る立場に差はある。だが滅びの美学を語り、この世は無常、武家の世になってもそれは同じ、と仏教思想で一貫する。慈円『愚管抄』は、天皇を武家が守護するようになったので神剣は役割を終えて退場したと歴史を論理化した。これは牽強付会ではなく、史実の現実を、現代的と言える思考方法で叙述したものと評価できる。
著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
vol.133, pp.37-60, 2015-12

ドラゴンなり龍が現実世界に登場する伝承は、洋の東西にある。中世英国を語る『ブリタニア列王伝』では、生贄にされかかった少年の日の魔術師マーリンが地下に住む赤龍(ブリトン人側)と白龍(侵略するサクソン人側)とが戦う現場を王に見せる。『マビノギオン』では、毎年五月祭前夜に恐ろしい竜が咆哮し災いをもたらすが、王者兄弟が蜜酒で酔わせて封ずる。日本のスサノオによるヤマタノオロチ退治では、オロチの尾から剣を得る。この剣が、天皇の神器のひとつとなったと信じられていた。政権が貴族から武士に移るという大変革をもたらした源平の合戦で、この神剣は幼帝とともに壇ノ浦に沈んで失われた。この変革に対し、『剣巻』は、源氏の名剣が源氏の棟梁である頼朝のもとに再び集まってめでたいと肯定する。『平家物語』は、沈んだのが神剣そのものか模剣であるか、版によって異なり、諸本でやや語る立場に差はある。だが滅びの美学を語り、この世は無常、武家の世になってもそれは同じ、と仏教思想で一貫する。慈円『愚管抄』は、天皇を武家が守護するようになったので神剣は役割を終えて退場したと歴史を論理化した。これは牽強付会ではなく、史実の現実を、現代的と言える思考方法で叙述したものと評価できる。
著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.126, pp.129-179, 2012

我が国の「甲賀三郎伝説」は、話型の国際分類であるAT301に属すると指摘されている。古英詩『ベーオウルフ』はAT301の元祖ともみなされるが、一方で、この話型に属するか否かの議論がある。本稿は、『ベーオウルフ』と「甲賀三郎伝説」とを話型で比較することを出発点として、AT301の話型が発達していく流れにおける両者の位置を見定め、両者の関連の態様を検討する。結論を言えば、「甲賀三郎伝説」はAT301の話型の流れにあって、ほぼ完成した形を示すのに対し、『ベーオウルフ』はAT301が完成する途上にあるといえる。しかし、両者ともその流れの中にあるという意味で関連している。
著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:21898987)
巻号頁・発行日
vol.134, pp.71-92,

1901年英国のY. PowellがBeowulfと渡辺綱伝説の類話性を指摘、同じ頃東大で小泉八雲が同様な指摘を講義、1903年G. L. Kittredgeが、1909年W. W. Lawrenceが両者の類似に言及した。1907年栗原基らは両者の関連に興味を示した。1929年、島津久基は両者の関連を詳細に論じ、伝播を前提する必要性を否定したが、呼応して、瀧川政次郎、藪田嘉一郎は伝播を主張した。1998年、黒田彰は島津説を尊重しつつ、なお何らかの関連性の可能性を論じた。筆者はBeowulfと日本の古典文学との類似モチーフを多年論及して来たが、本稿では『古事記』の「国譲り譚」と『出雲国風土記』の「安木郷猪麻呂説話」を取りあげる。前者については、新来の神/英雄が在来の神/怪物と素手で闘い、相手の手/腕を害し、その結果在来の神/怪物は湖に逃走し、新来の神/英雄に追われて完敗し、国譲りが完成する/斃される、という類似がみられる。後者については、娘/息子を害された父/母が復讐し、斃した相手から片脛/片腕を奪い返し、相手の死骸を曝す、という類似が見られる。類話の収集と研究は継続されるべきであり、Beowulfと渡辺綱伝説の関連性もさらに検討されるべきである。
著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学文学部人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.128, pp.21-41, 2013

中世後期のヨーロッパに見られる宗教抒情詩には、天国への希求とともに地獄への恐怖が鮮やかに描かれている。地獄の恐怖はまた、天国の対比として、絵画や造形美術に表された。これらの絵画や造形美術は、文字を理解しない多くの庶民に、死後の審判、そして天国と地獄を強烈に印象付けた。一方、日本では、仏教の普及とともに、地獄の思想が受け入れられていった。仏教の地獄は六道の一つであり、輪廻転生の世界である。仏教では元来、輪廻転生を断ち切ることを理想としている。平安時代以降、浄土思想とともに、地獄・極楽の思想が人々の間に広まった。化野、紫野、鳥辺野、蓮台野など風葬地は、現世無常を教えるとともに、極楽を望み、地獄の恐怖をかきたて、仏教布教に影響を与えた。キリスト教世界の地獄と日本における仏教の地獄を対照させると、興味深い相違が見えてくる。キリスト教の地獄は永遠の罰であるが、日本の地獄は六道の一つであり、気の遠くなるような長い時間を経るとしても、永遠ではない。日本の地獄絵には、地獄の中に仏がいる。こどもを救う地蔵、女性を救う観音。仏教の地獄は期限があり、かつ、地獄からも救われる。その意味で、日本の地獄にはキリスト教の煉獄に当たる要因がある。キリスト教の地獄と煉獄、日本の仏教の地獄を比較検討したときに、そこには救済を希求する普遍的な人間性の一側面を見ることができる。本稿では、文学、絵画などを通して、キリスト教と日本仏教の天国(極楽)の対比にある地獄(煉獄)観についての一考察を行いたい。
著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.131, pp.75-102, 2014

江戸期およびそれ以前の日本の文学作品において、いかなる時刻がどのように表記されて来たかを検討する。『延喜式』、宇多・醍醐両天皇の日記、『拾芥抄』から、宮中では定時法の時刻が用いられていた。一方、『今昔物語集』『蜻蛉日記』から、不定時法の時刻が寺院および一般に用いられていた。江戸時代には定時法から不定時法採用になったと言われるが、定時・不定時の両法は、いずれも古代から継続して併用されていた。不定時法で解すべき古典の時刻を、定時法で解しているとの批判もなされている。近松『曽根崎心中』や西鶴『好色五人女』の「七つ」を例に考察する。近松『賢女手習』にある表現「400年に3日」は、グレゴリウス改暦時の文書に影響を受けた可能性がある。一般に時間帯を示す用法が多く、後記軍記の『豊鑑』までは、そうである。江戸期には、時間帯より特定時点を示す用法が多くなった(『膝栗毛』など)。時間帯と理解すべきであるとの主張もなされていた(滝沢馬琴『燕石雑志』)。
著者
多ヶ谷 有子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.115, pp.51-78, 2008

本稿では英国最古の叙事詩『ベーオウルフ』に登場する寵臣アッシュヘレと、『太平記』巻第三十二が描く渡邊綱の話における話型の類似性を検証する。アッシュヘレは妖怪グレンデルの母女怪に連れ去られ、殺害される。綱との類似性が従来注目されなかったのは、該当部分の忍足欣四郎氏による英訳『太平記』をはじめ、一般に知られているのは流布本(岩波体系本)であり、綱の運命が曖昧だったからと思われる。本稿では永和本や玄玖本など、綱が鬼に運び去られると記す古態『太平記』諸本をも参照し、両者の類似性を明示する。あわせて『太平記』諸本、さらにお伽草子、絵巻における綱伝説の記述に見られる変遷を略述する。