著者
漆﨑 まり
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.55-100, 2013-09

江戸歌舞伎においては、舞踊の場面に、半太夫節・河東節、長唄、常磐津節・富元節・清元節など多彩な音曲が用いられてきた。新作が上演されると、音曲の詞章は演じる役者や演奏者などの上演情報とともに三~五丁程度の小冊子に載せられ、芝居茶屋や絵草子店に頒布された。これが歌舞伎の音曲正本である。 筆者は江戸版の長唄本について広く書誌調査を行ってきた。伝本は、享保十六年(一七三一)から明治期にわたりほぼ継続して残っている。長唄正本には上演後も稽古本としての用途があったため、多くの版元が再販を手がけており、異版の非常に多いことが一つの特徴である。その伝本の多さからも、長唄本が地本の主要品目の一つであったことが窺える。異版はいずれも初版を踏襲した体裁をとっており、そのなかには、共表紙(本文と同じ料紙)に描かれる役者絵や外題・本文の書体などが初版に酷似するものも存在する。この異版の存在によって、地本における当時の偽版の実態や版権の確立する過程を知ることができるのである。本稿は、長唄本を江戸における草紙(地本)の一品目として捉え、版権の確立する過程(すなわち株板化)について考察したものである。 これを中村座の長唄本によって説明すると、以下の段階を経て株板化に進んでいる。まず、版元村山源兵衛は座と専属的関係をつくり、長唄正本の版行を独占する。するとこれに伴い、その独占的な利益に不正参入しようとする偽版も現れるようになる。その偽版には、村山版を版下に流用して作成する手法が多く用いられている。 次の段階として、村山源兵衛は、偽版の版元を相版元とし、出版にかかる経費を偽版の版元に担わせるようになる。これにより原版の不正利用に対する弁済の方策が立つようになったと考えられる。 寛政期になると版元が沢村屋利兵衛に代わり、蔵版して再版を数次行うかたちに版行形態が変化する。そして、再版に際しても沢村屋と他の版元との相版のかたちがとられ、沢村の原版に対する所有権は概ね守られていると見なされることから、株板化したと判断される。 これは、寛政二年(一七九〇)の出版令により、地本問屋仲間行事による新本に対する自主検閲が義務付けられるようになったことを受けて、地本にも版権を明らかにして取り締まりを強化する体制が整えられたことに連動した動きと捉えられよう。しかしその一方で、こうした長唄正本の版行形態の変化が、稽古本の需要の高まりを受けて再販性の高い出版物へと成長した長唄本の出版益を、座あるいは芝居町に取り込む目的のもとに、座側の主導によってもたらされている面は看過できない。

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