- 著者
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彭 丹
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.45, pp.11-50, 2012-03
日本には八点の国宝茶碗がある。八点のうち、南宋時代に焼造された天目が五点を占める。曜変天目三点、油滴天目一点、玳皮天目一点である。これらの天目茶碗は、生産地の中国の地には残されていないのに、なぜ日本に残っているのか?日本の国宝と中国の天目とは矛盾しないのか?天目を求め続ける日本人の情熱はいったい何か? 曜変天目は中国の陶工にとって「窯変」であり、不吉な異変であるため、窯から出るなり消されてしまった。だが、日本の茶人にとっては、「窯変」ではなく「曜変」である。華麗な珍奇な唐物茶碗として愛され、代々尊ばれてきた。 また、玳皮天目は煩雑な文様や派手な釉色を持つため、平淡を好む宋の文人に好まれなかった。日常雑器として使われ壊され棄てられた。だが、日本に渡った玳皮天目は、唐物としての価値が茶人に認められ、今日まで伝わることができた。 油滴天目と禾目天目は、焼造された当時は宋代の文人にも珍重された。しかし、点茶法の衰亡と泡茶法の台頭により、中国では不要なものになった。そこで、商人の活躍によって日本に持ち込まれるようになった。 天目茶碗が日本に伝世され、中国で消えたのは、中国文化と日本文化の異質性によるものだった。日本人が中国産の天目茶碗を日本の国宝に入れて何らの矛盾を感じないのは、日本人が、その矛盾自体を日本文化の特牲だと考えるからである。天目茶碗を再現しようとする日本人の情熱には、中国文化への憧憬と対抗意識があった。憧憬があるから中国文化を借用し、対抗意識があるから新しい創造へとつながった。言い換えれば、天目茶碗の中日における存在の相違から、日本文化が抱えた大陸への絶えることのない憧憬と対抗意識と、それを基盤にした創造性を読み取ることができる。黒楽茶碗は、宋代の天目茶碗の借用から生まれた日本人の創造であった。