著者
森田 登代子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.129-158, 2009-11

江戸時代、歌舞伎が庶民の生活に大きく影響を与え、歌舞伎役者着用の衣装、その文様などが流行したことは周知のことである。当時の海外事情や政治的・社会的事件が歌舞伎狂言に影響を与えたこともまたよく知られているが、反面、それらが新しい歌舞伎衣装制作に寄与したことは等閑視されている。馬簾つき四天、小忌衣、蝦夷錦、厚司などの歌舞伎装束はその形成過程において当時の話題性を巧みに取り込んで制作された。たとえば馬簾つき四天は角力のまわしに似せた伊達下がりや江戸で活躍した火消しが担ぐ纏などの意匠が取り入れられ、さらには清から入国した黄檗僧服などをも折衷し、創作された。衣装の各部位にさまざまな意匠や表象を込めた馬簾つき四天は男らしく勇猛な役柄に着用された。小忌衣は中国やオランダから伝播した西洋服装の襞襟、仏具の華鬘紐を応用・受容した衣装と考えられる。江戸時代には大嘗会再興という、天皇家神事に着用される小忌も大きく寄与した。元来は異人や謀反人であることを象徴する装束として成立したが、次第に貴人を表象する衣装へと変貌する。また蝦夷地の開発から、蝦夷錦や厚司を知ることとなり、それらもまた歌舞伎衣装へと受容されていく。これらの事例からも知れるように、歌舞伎役者は、当時の庶民が海外をも含めた様々な社会的事件に関心をもった話題に着目し、それらに関する意匠や衣装の部位に新しい意味づけを加え、あるいは誇張(デフォルメ)し、きらびやかな歌舞伎衣装を創作していったのである。

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