著者
森田 登代子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.247-276, 2004-12

大雑書は平安時代以降の陰陽道や宿曜道の系統をひき、八卦・方位・干支・納音・十二直・星宿・七曜などによる日の吉凶、さまざまな禁忌やまじない、男女の相性運などを内容とした書物のことである。近世後期には庶民の関心をひく生活情報を加え内容を肥大化させ百科全書の体裁を帯びるようになった。これが大雑書である。『簠簋内傳』『東方朔秘傳置文"などの歴註書』や、公家武家階層が利用した百科全書『拾芥抄』をもとに大雑書が刊行された経緯から、天保年間に出版された代表的な大雑書の一つ『永代大雑書萬歴大成』をもとに考察する。大雑書に組み込まれた内容は各板元が所有する版権に大きく左右されたことを、大阪本屋仲間の記録をもとに検証し、自己株の書籍に新しい情報をつけくわえ手直し編集して出版したものが大雑書であったことを明らかにする。また各大雑書の特徴をあげ、大雑書が近世の社会・文化・風俗・生活を知る手がかりになることを強調し、ひいては絵の文化のシンクレティズムを象徴するものであったことを追究する。
著者
森田 登代子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.66, no.7, pp.317-328, 2015 (Released:2015-07-16)
参考文献数
37

This report describes how Emperor Meiji's costume changed from the end of the Edo Period to the beginning of the Meiji Era. When he lived in Kyoto, he wore a traditional costume called a Kugeshouzoku (nobility dress). However, after he moved to Tokyo, his costume changed drastically, because he was forced to westernize his way of life in all respects. In Kyoto, he showed his authority as Mikado with Three Sacred Treasures beside him. In Tokyo, everything was different. He had to represent his authority, not by those symbols but through his new dress: he had to give dignity and nobility to his military uniforms. Emperor Meiji's uniforms were henceforth decorated with epaulets, gold strings, and gorgeous chrysanthemum-pattern embroidery. This is clearly evident in the “Goyoudoroku” receipt lists of purchases by the Imperial Family owned by the Imperial Household Agency.
著者
森田 登代子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.32, pp.181-203, 2006-03-31

近世、京都の庶民階層は大嘗会、新嘗祭、即位儀礼の情報を町触れから逐一得ていた。天皇家祖先への神祭りである大嘗会では忌避されたが、公的な就任儀礼である天皇即位儀礼では庶民の拝見が許可された。入場券代わりの切手が男性一〇〇人女性二〇〇人に配られ、禁裏内、日華門近くで拝見した。即位儀礼を感涙にむせびながら厳粛に拝見する民衆もいれば、遊楽と見紛う行為も見られた。大嘗会や新嘗祭、譲位、即位儀礼、入内が布告されるたび、火の始末、鐘撞や芝居上演禁止など日常生活への拘束がともなったが、天皇に関する行事が庶民の関心を呼んだことは間違いがない。
著者
森田 登代子
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.66, no.7, pp.317-328, 2015

This report describes how Emperor Meijis costume changed from the end of the Edo Period to the beginning of the Meiji Era. When he lived in Kyoto, he wore a traditional costume called a Kugeshouzoku (nobility dress). However, after he moved to Tokyo, his costume changed drastically, because he was forced to westernize his way of life in all respects. In Kyoto, he showed his authority as Mikado with Three Sacred Treasures beside him. In Tokyo, everything was different. He had to represent his authority, not by those symbols but through his new dress: he had to give dignity and nobility to his military uniforms. Emperor Meijis uniforms were henceforth decorated with epaulets, gold strings, and gorgeous chrysanthemum-pattern embroidery. This is clearly evident in the "Goyoudoroku" receipt lists of purchases by the Imperial Family owned by the Imperial Household Agency.
著者
徳山 孝子 打田 素之 木谷 吉克 笹崎 綾野 中村 茂 森田 登代子 藤田 恵子 山村 明子 刑部 芳則
出版者
神戸松蔭女子学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

礼服・軍服などの男子服意匠の導入に関わる幕末から明治維新期にかけての日仏間の交流の経緯と実態の一端を明らかにした。①明治天皇の御正服の意匠とAICP校に現存する絵型の比較検証から、礼服などの男子服意匠の導入がフランス支援による事が判った。②訪仏した日本人との交流が深かった洋裁店「オゥギャラリードパリ(S・ブーシェ)」は、男子服の発祥経路の一つとして指摘できた。③ナポレオン3世から徳川慶喜に贈呈された軍服、軍帽等の軍装品に関して、仏軍が定める詳細な仕様書などの資料が得られた。④The Tailor’s guideの技法は『西洋縫裁(裁縫)教授書』を介して伝えられたことが判った。
著者
森田 登代子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.129-158, 2009-11

江戸時代、歌舞伎が庶民の生活に大きく影響を与え、歌舞伎役者着用の衣装、その文様などが流行したことは周知のことである。当時の海外事情や政治的・社会的事件が歌舞伎狂言に影響を与えたこともまたよく知られているが、反面、それらが新しい歌舞伎衣装制作に寄与したことは等閑視されている。馬簾つき四天、小忌衣、蝦夷錦、厚司などの歌舞伎装束はその形成過程において当時の話題性を巧みに取り込んで制作された。たとえば馬簾つき四天は角力のまわしに似せた伊達下がりや江戸で活躍した火消しが担ぐ纏などの意匠が取り入れられ、さらには清から入国した黄檗僧服などをも折衷し、創作された。衣装の各部位にさまざまな意匠や表象を込めた馬簾つき四天は男らしく勇猛な役柄に着用された。小忌衣は中国やオランダから伝播した西洋服装の襞襟、仏具の華鬘紐を応用・受容した衣装と考えられる。江戸時代には大嘗会再興という、天皇家神事に着用される小忌も大きく寄与した。元来は異人や謀反人であることを象徴する装束として成立したが、次第に貴人を表象する衣装へと変貌する。また蝦夷地の開発から、蝦夷錦や厚司を知ることとなり、それらもまた歌舞伎衣装へと受容されていく。これらの事例からも知れるように、歌舞伎役者は、当時の庶民が海外をも含めた様々な社会的事件に関心をもった話題に着目し、それらに関する意匠や衣装の部位に新しい意味づけを加え、あるいは誇張(デフォルメ)し、きらびやかな歌舞伎衣装を創作していったのである。
著者
中村 茂 徳山 孝子 笹﨑 綾野 藤田 恵子 森田 登代子
雑誌
服飾文化共同研究最終報告
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.[94]-[104], 2013-03

本研究は我が国の洋装文化形成の最初期において、礼服・軍服などの男子服意匠の導入に大きな影響を与えた幕末から維新期にかけての日仏間の交流の実態と意義を明らかにすることを目的とする。そのため、パリの服飾専門学校、AICP校*に現存する日本由来の資料を手掛かりに、幕末の将軍徳川慶喜と明治天皇の洋装に関連する資料を調査・収集し、日仏関係者による交流の具体的経緯と男子服意匠の導入経過の解明を目指した。その結果、軍事博物館(パリ)などの調査から、ナポレオンⅢ世から寄贈された慶喜の軍服、明治天皇の礼服の意匠、慶喜の実弟昭武と関わるパリのテーラーなどに関する事実が明らかになった。*Académie Internationale de Coupe de Paris
著者
森田 登代子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.29, pp.247-276, 2004-12-27

大雑書は平安時代以降の陰陽道や宿曜道の系統をひき、八卦・方位・干支・納音・十二直・星宿・七曜などによる日の吉凶、さまざまな禁忌やまじない、男女の相性運などを内容とした書物のことである。近世後期には庶民の関心をひく生活情報を加え内容を肥大化させ百科全書の体裁を帯びるようになった。これが大雑書である。『簠簋内傳』『東方朔秘傳置文"などの歴註書』や、公家武家階層が利用した百科全書『拾芥抄』をもとに大雑書が刊行された経緯から、天保年間に出版された代表的な大雑書の一つ『永代大雑書萬歴大成』をもとに考察する。大雑書に組み込まれた内容は各板元が所有する版権に大きく左右されたことを、大阪本屋仲間の記録をもとに検証し、自己株の書籍に新しい情報をつけくわえ手直し編集して出版したものが大雑書であったことを明らかにする。また各大雑書の特徴をあげ、大雑書が近世の社会・文化・風俗・生活を知る手がかりになることを強調し、ひいては絵の文化のシンクレティズムを象徴するものであったことを追究する。