著者
笠谷 和比古
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.231-274, 2007-05

武士道をめぐる研究の中で注意を要することは、新渡戸稲造の『武士道』に対する評価が、専門研究家の間においては意外なほどに低く、同書は近代明治の時代が作り上げた虚像に過ぎないといった類の非難がかなり広範に存在するという事実である。 すなわち、新渡戸稲造が同書で描き出したような武士道なるものは、前近代の日本社会には実際には存在しておらず、欧米諸国の人々に向けて、日本社会の文明性、道徳的な高さを主張するために、西洋中世の騎士道に比肩するものとして「武士道」なる語句と概念とを新渡戸が創造したものである、とする論である。 武士道批判のもう一つのタイプは、津田左右吉『文学に現れたる我が国民思想の研究』で展開されているそれで、武士道は世に喧伝されているがごとき道徳高潔なものではなく、裏切りと下克上の暴力的行動に他ならぬことを力説する。このような武士道の非道徳性に関する津田の議論は、そのまま今日までも継承されており、さらにこれは前者のタイプの議論とからめる形で、かりに江戸時代において「武士道」と呼ばれるものが存在する場合があってもそれは、もっぱら戦国時代の余習とも呼ぶべき暴力的、非道徳的性格の行動形態であり、その意味において新渡戸『武士道』の描き出しているそれとは隔絶したものとする論調である。 すなわち、新渡戸がその著書で描き出している武士道なるものは、近代日本の時代的要請のもとに創作された虚像にすぎず、いわゆる「近代における伝統の発明」の典型事例のごとくに見なされているというのが実情である。 武士道をめぐるこのような研究の現状にかんがみて、本稿では武士道概念を厳密に検討して、それが歴史実態としては具体的にどのように存在していたのか実証的に究明することを課題とする。そしてこの種の概念問題をめぐる論述が、しばしば思弁的な議論に流れていく弊を避けるためにも、その概念を表現する言葉、すなわち「武士道」という用語に即して分析を進めていくこととする。明治以前の前近代社会において、「武士道」という言葉がどのように存在し、どのような意味内容で使われていたかを、時代の推移とともに、また地域的な広がりをふまえて考察する。この種の概念的問題を実証的、客観的(間主観妥当的)なものとするためには、このような限定は不可欠であると考える。

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