著者
リュッターマン マルクス
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.28, pp.13-46, 2004-01-31

「畏まりました」「恐れ入ります」の類の言葉を日本列島ではよく耳にする。拝して曲腰をして恐縮する姿を型としている作法に合わせて「恐れ」の感を言い表わす礼儀は依然として根強く育まれている。「型」である。拙論では、仮にそれを「恐怖の修辞」と呼び、観察の焦点を挨拶の言葉に限定し、その普及と徹底的な定着の所以を問う。要するに「恐怖の修辞」形成過程の復元と、その由来の歴史的考察とを五段階を経て行いたい。一説では「恐れ」を言い表す主な古語である「恐る」や「畏む」や「憚る」を収集して、その意味を整理し、その変化を追求する。それらの本来の語義は平安時代以降から挨拶詞として定着したように見えるのである。したがって、これらの大和詞には共通した総括的な変容が著しく生じて、新たな意味(感謝、呼び掛けなど)が追加された。そういった「恐れ」の表現の性質を検討するに当たって、手掛かりを仮に書簡の修辞法(文書形式や書札・書札礼)に求める。それに二つの方面から光を照らし合せてみたい。一つには二節において文化歴史上の比較でもってその世界的普遍性の有無を確認したい。果たして古代地中海のレトリックを組む欧州弁術法にも「恐怖」が型となっているのだろうか。二つには斯かる言葉遣いの独特な由来の検討を三節の旨とする。即ち中国の漢・唐時代の修辞法に溯って、『獨斷』を始め、書儀類などを検討し、その結果、「恐怖の修辞」は古代地中海都市広場でもなく、都市裁判の場でもなく、漢国家体制或いはそれ以前の帝・天使の朝廷と中国士族の祖先崇拝へ溯る特徴が判明する。いわゆる「啓」と「状」とが唐に広く書簡として使用されるようになり、士身分以外にも、つまり庶民に浸透すると同時に「恐怖の修辞」も多くの人の身についたことは想像に難くない。礼儀作法書且つ書礼規範書として流行った書儀にも同様な傾向が反映している。書儀伝承と木簡出土などが雄弁にかたるように、文書主義の一面として「恐怖の修辞」も渡日した。日本における書札礼儀の展開における「恐怖の修辞」の変遷・推移を四節で具体的に分析する。『正倉院文書』を始め書簡手跡の実例に配慮する一方、中心的に『雲州消息』『高山寺本古往来』『弘安禮節』『庭訓往来』『書札調法記』『不斷重寶記大全』『書禮口訣』等々の主な礼書を分析する。儀礼に溯る思想もしくは表現が礼学の文脈で多く日本に伝わっており、「恐れ」を意味する仕種や語彙が少なからず含まれている。「恐々」「恐惶」等々の漢語を規範書から検出して、其の使用法や機能・連想に光を当てて、またそれらが中国よりも徹底的に市民の間に普及した様子を描く。最後にかかる漢語の訳語として大和詞の「かしこ」を例に、中国の修辞法に由来する使用法の転換を明らかにする。「めでたくかしこ・かしこ」はそれなりに世俗化や日常化や大衆化と滑稽化ともいうべき変遷を遂げた、現代まで日本で影響力を保っている「恐怖の修辞」を代表するといってよい。延いては礼儀の一系統への理解を深めるのに好適なこの一例をもって、拙論を結ぶ。

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