- 著者
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マッケルウェイ マシュー P.
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- no.27, pp.57-70, 2003-03-31
「三条本洛中洛外図」は、現存する最古の洛中洛外図屏風であるために、日本美術史上、重要な位置を占めている。記録上では、洛中洛外図が初見されるおよそ二、三十年後の一五三〇年代から四〇年代までに制作されたと思われる。しかし、制作年代と作者の問題も含めて、三条本に関する多くの問題は未だ解明されていないのが現状である。小論は、本図の制作年代と発注者を断定するよりも、そこに描かれた公家や武家などの邸宅を分析し、それらの特殊な組み合わせ方が伝えてくれる手がかりを探し出すことによって、見えてくる人脈の有り様を通して本屏風の意図するものを解釈し、秘められたメッセージに光を当てようとする試みである。三条本の作者が、ある程度、足利家や細川家とその家臣について、絵の構図の中で強調していることは、以前から注目されていたことである。ただ、本図が制作された可能性が強い数十年間が、足利幕府とそれを支える細川管領家が深刻な危機に陥っていた時期でもあったこと、また、その事実が本図の制作にどのような意味をもたらしているかについては、従来からほとんど言及されていない。そもそもなぜ本図は、当時の政治的現実を否定するかのように、理想化された平和なイメージで都を描こうとしたのか。作者は、この図を通して当時の人々に、足利家を支える(サポートする)イメージを与えるための重要な方法として、建物のネットワークを描き出すことにより、足利将軍と結ぶ政治的あるいは家族的な絆を強調しようとしたのではないか。幕府の有力な官吏であった畠山家や伊勢家などの屋敷はこの絵には描かれていないものの、近衛、二条、三条西といった公家の邸宅の存在が、将軍家の地位と朝廷との関係を示唆する。同様に、宝鏡寺と曇華院といった尼僧寺院は、これら比丘尼御所と足利家との親戚関係をも見る者に訴えるのである。最後に小論は、三条西家と三条家に焦点を合わせ、本屏風の制作が、左大臣三条実香の娘と足利義晴との婚姻に何らかの関係があったと推理する。