3 0 0 0 IR 戌亥の風

著者
久野 昭
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.2, pp.p11-35, 1990-03

日本に吹く主要な季節風は二つある。ひとつは冬季に吹く北ないし西北からの季節風であり、もうひとつは夏季の南ないし東南からの季節風である。不意に激しく吹く西北の季節風は、西日本では「あなし」とよばれてきた。「あな」はこの場合は恐怖をも含む感嘆詞であり、「し」は息であり風である。古代、漁師も農夫もこの「あなし」を怖れた。しかも、この風は疫病をもたらすとも考えられ、だから疫病は風病、風の病ともよばれていた。七世紀、飛鳥に宮廷を置いた天武天皇は龍田で風祭を行ったが、龍田は飛鳥の西北に位置する。奈良時代および平安時代、不安定な政治情勢を背景に凶作と疫病の蔓延が繰り返されたとき、これらの現象は、権力の座から追い落とされて死んだ者たちの怨霊の所為にされた。怨霊は祀られねばならなかった。たとえば京都では上御霊社、下御霊社が建てられたし、御霊会が祇園で行われた。最も有名な御霊は菅原道真の怨霊だが、この御霊はこの両社に他の御霊たちとともに、また北野には単独で祀られている。古代、朝廷は出雲地方を怖れていた。おそらくこれが、出雲が黄泉と結び付けられた主な理由である。その出雲は飛鳥や奈良から西北の方角に位置する。祇園社、下御霊社、上御霊社は一直線上にある。そして上御霊社の近くから出雲路が始まる。道真の御霊の祀られた北野は祇園の西北の方向にあり、この方向も出雲を目指す。朝廷およびその周辺の人々にとって、死者の怨念は黄泉から戌亥(西北)の風に乗って都を襲ったのである。

言及状況

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【我が家の朝ご飯】   今日も北西からの風が強いです。この時季に吹く季節風を「戌亥の風」もしくは、「あなし」と呼ぶそうです。妻がこの付近の郷土史に書いてあったと言ってました。   「あなし」の「あな」はこの場合は恐怖をも含む感嘆詞であり、「し」は息であり風である。古代、漁師も農夫もこの「あなし」を怖れた。 しかも、この風は疫病をもたらすとも考えられ、だから疫病は風病、風の病ともよばれていた。」以下 ...

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