- 著者
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植村 邦彦
- 出版者
- 關西大学經済學會
- 雑誌
- 關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
- 巻号頁・発行日
- vol.49, no.3, pp.45-60, 1999-12-15
ヨーロッパの歴史の中で「解放Emancipation」という言葉が一つの政治的スローガンとして普及するのは、18世紀末の啓蒙思想の中においてであり、実践的な政治的問題となるのは、フランス革命とナポレオン戦争によってである。全ヨーロッパに革命が波及していく中で社会的・政治的な課題として意識されたのは、社会と国家の《近代化》、すなわち封建的身分制社会から近代的市民社会への転化と国民国家の建設であり、従来の非特権身分の「自然な権利の回復」という表象であった。つまり、新たに「国民」というカテゴリーに含まれることになったすべての人に市民的・公民的同権を認めること、これが「解放」の具体的内容である。「ユダヤ教徒の解放」も例外ではない。彼らは、中世以来18世紀末に至るまで多かれ少なかれ「キリスト教国家」を国家原理とするヨーロッパ諸国の中で、その宗教的信条を理由として市民的・政治的権利を制限されていたが、「国民国家」という新しい国家原理は、国内の宗教的マイノリティを同じ「国民」と見なすことによって、法的差別から「解放」しようとしたのである。「信条の自由」を人間の基本的権利の一つとして掲げてヨーロッパではじめてユダヤ教徒の「解放」を実現したのはフランス革命であったが、ドイツにおける「ユダヤ教徒の解放」は、1812年のプロイセン王国の「ユダヤ教徒解放勅令」に始まり、1848年の三月革命を経て、1871年に成立したドイツ帝国が「信条の自由」原理を採用することによって最終的に達成された(1)。しかし、この「解放」の実現に向かう過程で、それに反対する勢力もまた「解放」という同じ言葉を借用するようになる。しかも「ユダヤ人からの解放」という、まったく逆方向のベクトルをもったスローガンとして。この反ユダヤ的スローガンが広く普及するのは1880年代以降であるが、この言葉自体はすでに 1848年革命の時点で使われていた。1848年から1860年代にかけて、この「ユダヤ人からの解放」という言説がいかにして構築されていったのか、そしてその中で従来の「ユダヤ教徒」像がいかに変容していくのか、それを今から明らかにしていきたい。