- 著者
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今里 悟之
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.162, pp.123-139, 2011-01
- 被引用文献数
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日本の農山漁村集落の小地名については,これまで民俗学・地理学・社会言語学などで研究が蓄積されてきたが,耕地における,より微細なスケールの通称地名である「筆名(ふでな)」については,ほとんど研究が行われてこなかった。本稿では,その基礎的研究として,1960年代の長野県下諏訪町萩倉(はぎくら)(農山村)と京都府伊根町新井(にい)(漁村)を事例に,水田と畑地の筆名における命名の基準と空間単位について検討した。まず,命名の基準については,両集落では,耕地内外の地物との位置関係にもとづく筆名が最も多く,耕地の規模・形態を示した筆名もある程度みられた。1戸の耕作地が空間的に比較的集中していた萩倉では,特に道路などの耕地外部の地物を基点とした命名が多く,隣接する各耕地を明瞭に区別するために,地形・地質・水質・植生なども含めた多様な命名基準が用いられていた。これに対して,急傾斜地の狭小な耕地の各小字に,1戸が1枚程度しか耕作しないことが多かった新井では,小字名をそのまま使用した筆名が非常に多く,垂直方向の身体感覚による命名がこれに組み合わされていた。また,命名の空間単位については,1つの筆名は多くの場合,実際の地割1枚に対応しているものの,しばしば複数の筆名が1つの地番を構成していること,面積が非常に小さい地割を含む場合には,1つの筆名が複数の地割(時には地番と地割の双方)を含み得ることが判明した。また稀ではあるが,筆名は地割上の半枚にもつけられていた。民俗的な空間分類体系の最小単位名である筆名と,地籍上の単位である地番とは齟齬がある場合が多く,場合によっては地割とも齟齬があり,三者は今後明確に区別して考える必要がある。