著者
佐野 静代
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.162, pp.141-163, 2011-01

エリとは,湖沼河川の浅い水域に設けられる定置性の陥穽漁法であり,全長1㎞にも及ぶ大型かつ精巧なエリは,琵琶湖にしかみられないものとされてきた。本研究では,近世・近代史料の分析から琵琶湖のエリの発達史に関する従来の説を再検討し,エリが琵琶湖でのみ高度な発達を遂げた要因について,地形・生態学的条件から分析した。原初のエリは,ヨシ帯の中に立てられる単純な仕組みのものであったが,中世には湖中へ張り出す湖エリタイプがすでに存在していたと推測される。また近世の絵図や文書の分析の結果,17世紀までの湖エリはツボ部分のみを連結した屈曲型の構造であったのに対して,18世紀後半には今日に近い「岸から一直線に伸びる道簀」+「大型の傘」を備えた形態へと転換がはかられていることがわかった。琵琶湖のエリは,江戸後期に大きく姿を変えていることが明らかである。さらにエリの「傘」内部の漁捕装置の発達については,「迷入装置(ナグチ)の複雑化」と「捕魚部(ツボ)の増設」という二つの方向性があり,その発展段階としてはそれぞれ5段階,4段階があること,そして天保期には「カエシ」のエリという大型エリの技術段階に到達していたことがわかった。この天保期における「カエシ」の技術の成立には,琵琶湖の水位低下という人為的な環境変化が関わっていた可能性が推測された。エリが琵琶湖のうち特に「南湖」において発達した要因としては,湖底の地形条件に加えて,漁獲対象となる琵琶湖水系の固有種の生態学的条件があげられる。なかでもニゴロブナの南湖への産卵回遊が,野洲郡木浜村の「エリの親郷」としての位置づけに深く関わっていることが明らかになった。一部非公開情報あり

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