- 著者
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外村 中
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.51, pp.21-40, 2015-03
日本の奈良の東大寺大仏(752年開眼)は、宇宙に花咲く蓮の花托に坐す仏を表したもので、世界的にも有名な芸術作品の一つである。また、日本の華厳宗の大本山である東大寺の本尊であるから、大乗仏教の最も代表的な経典の一つである『華厳経』を当時の日本人が如何に理解していたかを考察する上でも、非常に重要な仏像である。ところが、大仏は、意匠的には、華厳宗がもとづく『華厳経』よりも律宗で重んじられた『梵網経』の内容に符合しているようにも見える。その理由は、いまだ明らかにはされておらず、大仏は、実のところは華厳教主像ではなく、梵網教主像であろうとする説もある。しかしながら、やはり華厳教主像と見るべきであろう。小稿は、そのように思われる理由を整理するものである。『華厳経』の漢訳完本である『六十華厳』と『八十華厳』の内容、とくに両仏典が記す宇宙論の内容を比較分析するに、『六十華厳』の内容には重大な欠落があることが知られる。おそらくは、大仏の意匠を決定するにあたり、『六十華厳』のその欠落を補うために、『梵網経』の内容が援用されたのであろう。ただし、大仏は、積極的に梵網教主像として造られたものではなく、あくまで華厳教主像として造られたものらしい。大仏の意匠は、確かに『八十華厳』の内容とは齟齬をきたすが、実は『六十華厳』の内容とは必ずしも違うものではない。この点は、従来の研究においては注意が払われていないが、大仏が六十華厳教主廬舎那像として造られたものであることをしめすものであろう。