- 著者
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三宅 えり
- 出版者
- 佛教大学国語国文学会
- 雑誌
- 京都語文 (ISSN:13424254)
- 巻号頁・発行日
- no.23, pp.88-102, 2016-11-26
春の花が咲き乱れる美しさや、紅葉の美しさを「錦」にたとえることは、古く『万葉集』や『懐風藻』の詩歌にもみられ、『古今集』や『文華秀麗集』等、平安朝の詩歌にも受け継がれている定型的な比喩である。『源氏物語』には、自然の美しさを「錦」にたとえる表現もみられるが、宴に集った錦を纏う人々の様子を自然の美景にたとえる表現もみられる。「澪標」、「若菜下」の住吉社頭での宴の場面、「初音」の六条院での男踏歌の場面、そして「胡蝶」における六条院での船楽の場面である。これらの場面は光源氏が権力を掌握していることを示す重要な場面である。光源氏の周囲に集う人々を自然の美景にたとえることは光源氏に天の造化と同等のものを生み出す力があることを示すのだろう。また、「錦」にたとえられる明石上の存在についても考察する。