- 著者
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郷原 佳以
- 出版者
- 関東学院大学[文学部]人文学会
- 雑誌
- 関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
- 巻号頁・発行日
- no.119, pp.1-31, 2010
モーリス・ブランショは1960年前後から断章形式に関心を示すようになった。70年代になると「断片的なもの」への傾斜は決定的となり、後期ブランショを代表する二著『彼方への一歩』(1973)と『災厄のエクリチュール』(1980)はいずれも全編が断章形式で書かれている。50年代末から70年代末にかけて、ブランショのなかで「断片的なもの」が大きな位置を占めるようになったことは明らかである。では、その「断片的なもの」とは何なのか。断章形式への傾斜は40-50年代のブランショの文学論といかなる関係にあるのか。そこにはある種の断絶があるのだろうか。しばしば言われるように、断章形式への移行は全体性の形式たる「書物」からそれに収斂しない「エクリチュール」への移行であり、ブランショの「断片的なもの」は全体性と無縁なのだろうか。しかし、だとすると、『国際雑誌』が「全体へのパッション」を持たなければならないと言われるとき、その「全体」とは何なのか。本稿では、『彼方への一歩』を過去のテクストと照らし合わせて読解することにより、これらの問いに取り組む。そこから導き出されるのは、ブランショの思考の断絶ではなく深化である。