著者
中島 淑恵
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.153-167, 2017-08-21

ラフカディオ・ハーンが日本に興味を抱いたのは,1884年にニューオリンズで開催された万国博覧会で日本の様々な文物に触れ,また農商務省の服部一三と出会ってそれらの文物の説明を受けことがきっかけであると一般に言われている。しかし,ニューオリンズ時代のハーンは,それよりも1年も前に発表されたコラム「日本の詩瞥見(A Peep at Japanese poetry))において,「日本の詩」すなわち和歌についての並々ならぬ知見を披露している。この時期のハーンは確かに,のちにモーデルによって取りまとめられた『東西文学評論(Essays in European and Oriental Literature)』の目次を見ればわかるように,世界各地の民話や伝承に興味を抱いていたのであって,日本をとりわけ特別な国と認識していたとは言い難いかも知れない。実際,『東西文学評論』にまとめられたアジアに関するコラムは,仏教の紹介からインドの女流による詩,中国人の信仰と並んでこの「日本の詩瞥見」が収められているのであって,アジアをざっと俯瞰したような布置になっているのは確かである。しかし,ヘルン文庫に収められた,このコラムを執筆する種本になったと思われるレオン・ド・ロニーの『日本詞華集(Anthologie japonaise)』を精査すると,おそらくこのコラムの発表された1883年頃に,ハーンの中で日本という国が,アジア諸国の「ワン・オブ・ゼム」から,何か特別な位置を占める唯一の国に変貌を遂げたのではないかと思われる点が見受けられる。すなわち,実際の日本や日本人と対峙する前に,ハーンは書物によってすでに「日本」なるものに深い関心を寄せていたのではないかということが十分に推察されるのである。またモーデルは,1923年に『東西文学評論』を編纂するにあたって,グールドがその著作の中でリストに挙げなかった1882年から1884年までの『タイムズ・デモクラット』紙に収められた無署名のコラムをハーンのものとして収録しており,「日本の詩瞥見」もその一つである。これら無署名のコラムをどのようにしてハーンの筆になるものと同定できるのかについて,実は客観的な根拠はないに等しい。またモーデルは序文の中で,「グールドの著作にないタイトルで私が選んだコラムは,ハーンによるものであることに些かの疑いの痕跡もないものである(The editorials I chose, whose titles do not appear in Gould's book are those of which there is not the least vestige of doubt that they are Hearn's)」と述べているが,その理由は「同紙の他の誰も,東洋の事柄についてこれほど親しんだ者はいないし,フランスのロマン派に熱情を抱く者もいなかった(No one else on the paper was as familiar with Oriental topics or had such a passion for the French romantics)」というものであり,これに続く例示はロチなどフランスの作家についてのもので,「日本」を題材にした「日本の詩瞥見」が,なぜ「疑いの余地なく」ハーンの筆になるものと同定できるのかについては何も述べていない。しかし,ヘルン文庫に収められたロニーの『日本詞華集』の精査によって,やはりこのコラムがハーンの筆になるものとある程度確定できる根拠となるものが見つかったようにも思われるのである。以下小論は,このような見地からロニーの『日本詞華集』を中心に,1883年頃のハーンの日本に関する関心のありようを観察することによって,「日本の詩瞥見」をその後のハーンの日本関連の著作との関連から読み直そうとするものであり,この無署名のコラムがハーンの筆になるものと確定し得る根拠の一端を示そうとするものでもある。

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中島 淑恵 -  ラフカディオ・ハーンのニューオリンズ時代における日本との出会い : 「日本の詩瞥見」をめぐって https://t.co/abLiX75ttG

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