著者
鈴木 景二
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.58, pp.390-363, 2013

小牧長久手の合戦で対時した織田信雄・徳川家康と豊臣秀吉が講和した天正12年(1584)の冬、秀吉への服従を潔しとしない富山城主佐々成政は、敵対勢力に固まれている状況にもかかわらず城を出て、信濃を経由し遠く浜松の家康のもとに向かった。真冬の積雪の多い時期に中部地方の山間部を往復したこの行動は、『太閤記』以来「さらさら越え」といわれ、戦国武将の壮挙として知られ、近年、そのルートや歴史的背景などの研究が相次いで発表されている。筆者も『雑録追加』所収文書を分析した佐伯哲也氏の研究に触発されて、そのルートについて検討し、成政の浜松往復には上杉氏重臣山浦国清(村上義清子)の弟である村上義長が関わっていたこと、その道筋は越後(糸魚川付近)を経由したと推定されることを述べた。その後、道筋の推定に対して服部英雄氏から厳しい批判を受け、久保尚文氏からは別案が提起された。さらに深井甚三氏からも疑問点が提示されている。また、道筋を究明することの歴史研究上の意義について言及しなかったが、最近、萩原大輔氏が成政の浜松行前後の徳川家康との関係を再検討し、豊臣秀吉の北陸遠征の研究のなかに位置付けている。このような諸研究をふまえ、本稿では佐々成政の浜松往復の道筋について新出史料を加えて再論し、天正十二年冬前後の成政と村上義長および家康をめぐる政治過程について検討することとする。
著者
Zoubek Wolfgang
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.60, pp.179-190, 2014

松尾スズキの演劇作品の中に登場する人物たちはしばしば精神的に病んでいる人として描かれている。舞台には現代日本社会のねじれた状態と不公平によって精神的に傷付けられている若い人たちが登場する。強調して表現するならば,松尾の作品は「病的な社会が病気の人間を作り出している」という社会批判的メッセージを発しているのである。しかし,松尾は道徳的な世界改良家ではない。毒のとげを持つにもかかわらず,彼の書いた作品は観客を笑わせる効果のあるブラック・コメディーである。松尾によって描かれている登場人物たちはただ哀れな犠牲者であるだけではなく,またたとえ彼らが一見してアウトサイダーのように見えるとしても,支離滅裂になった今日の代表者でもあるのだ。若い観衆は彼らと自分を同一視することができる。このようにして松尾の演劇の世界は,今日の社会の苦悩を悲劇としてではなく,喜劇として反映している。1998年に初演された松尾スズキの作品『ヘブンズサイン』の中では,特に女性の精神的な問題がテーマ化されている。主人公ユキは自傷行為を行っている。そして彼女の友達のドブスは摂食障害に悩んでいる。二人は精神病院に入れられている。確かにユキの人生がこの作品の中心的テーマではあるが,ドブスはユキの分身として登場している。
著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.68, pp.109-123, 2018

『ジョーズ』においては,三人の白人男性が,具体的には地元の警察署長,サメの捕獲に執着する漁師,そしてサメを専門に研究する海洋学者が,この役割を果たす。生業も年恰好もパーソナリティもそれぞれ異なるこれら三人の関係性は,当初は友好的とは言い難いものだが,次第に彼らの間に男同士の絆とでも言うべきものが醸成されていく。そして彼らは団結して,怪物のように巨大で狡猾なサメと対決する。かように『ジョーズ』は,大災害映画であると同時に,男同士の絆を描くバディ映画(buddy film)としての佇まいをも併せ持つ。レスター・D・フリードマンによれば,「スピルバーグ映画の多くは,初めのうちは張り合うが,最終的にはお互いを理解し敬意を払い,共通の敵を打ち破るために団結するようになる男たちを機軸に展開する」のであり,「『ジョーズ』は,スピルバーグ映画において男同士の絆を最も明確に表現したもののひとつであり続けている」。災厄が起こるまでは互いに接点も接触もなく,急遽寄せ集められたという観すらあり,サメに関する経験的知識や科学的知識という強みだけでなく,水恐怖症という弱みやサメとの過去の忌まわしい因縁をも抱えた男たちが,それぞれの個性をぶつけ合わせながらも結束しカタストロフィに立ち向かっていくさまに,この映画の大きな興趣があるのではなかろうか。以上のようなことを念頭に置きつつ,『ジョーズ』という映画テクストを読み解いていくことにする。
著者
中島 淑恵
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.66, pp.175-189, 2017

富山大学附属図書館所蔵のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)旧蔵書(ヘルン文庫)には,2種類の『ギリシア詞華集』が収蔵されている。そのうち1種類は英語版で,書架番号[302]The Greek anthology : as selected for the use of Westminster, Eton and other Public schools / literally translated into English prose, chiefly by George Burges, to witch are added Metrical Versions by Bland, Merivale, and others, and an index of reference to the originals, London, G. Bell, 1893.であり, もう1種類はフランス語版で2巻本の,書架番号[1641]と[1642]Anthologie Grecque, Tome I-II,traduite sur le texte publié d'après le manuscrit palatin par Fr. Jacobs, avec des notices biograophiques et littéraires sur les poëtes de l'anthologie, Paris, Hachette, 1863. であり,いずれもハーンが来日後に購入したものと思われる。いずれの『ギリシア詞華集』にもハーンによる鉛筆の書き込みが随所に見られるが,本稿はそのうちフランス語訳の2巻本について調査を行った結果を記すものである。
著者
中島 淑恵
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.58, pp.183-210, 2013

エレーヌ・ド・ジュイレン・ド・ニーヴェルト(1863-1947,正式の名はHélène Betty Louise Caroline de Zuylen de Nyevelt de Haar)は,父方・母方ともにロスチャイルドの流れをくみ,1887年,24歳でエティエンヌ・ヴァン・ジュイレン・ヴァン・ニーヴェルト男爵のもとに嫁ぎ二児の母となるも,1901年以降ルネ・ヴィヴィアンと急速に親交を深め,社交界ではその豊満な容姿からブリオッシュの異名をとった貴婦人である。ヴィヴィアンとの関係は,慈愛に満ちた母のような愛情を注ぐ保護者であったとも,嫉妬に狂うサディスティックな束縛者であったともいわれているがヴィヴィアンの文筆活動がもっとも旺盛であった時期に寄り添い,その最期を看取った後に,かの女性詩人の墓にネオ・ゴシック様式の濡酒な霊廟を贈ったことでも知られている。ジュイレン自身もまたサッフォの園の住人であり,ヴィヴィアンの他ナタリー・クリフォード=パーネイらとも関係があったとされるが,大きな文学上の影響を相互に及ぼし合った相手としては,やはりヴィヴィアンのみがその文筆活動において重要な役割を果たしたことは明白である。1903年から1904年にかけて,ジュイレンはヴィヴィアンと共同の筆名であるポール・リヴェルスダール(Paule Riversdale)の名で,韻文詩集『愛の方へ』(Versl'amour, Maison des Poètes,1903)と『木魂と反映』(Èchos et reflets,Alphonse Lemerre,1903),中篇小説『二重の存在』(L'Être double,Alphonse Lemerre,1904)と掌篇小説集『根付』(Netsuké,Alphonse Lemerre,1904)を発表している。このうち,いずれも1904年に発表された『二重の存在』と『根付』について,日本の文化が様々なかたちで反映されている事実を筆者はこれまでに指摘してきたが,小論は,その延長線上にあるものと考えられるジュイレン自身の名で発表された作品において,日本なるものがどのような影響を及ぼしているかについて論考を試みるものである。
著者
大野 圭介
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.65, pp.348-329, 2016

中国古代の詩文に叙景表現が乏しいことは夙に指摘されている。しかし山水の描写が皆無というわけではない。『詩経』における山水観については既に王国瓔『中国山水詩研究』が、『詩経』に描かれる山水とその表現法を多方面から分析し、「『詩経』の時代は山水詩の成熟した時期からまだまだ遠いとはいえ、『詩経』に反映している山水観、及び詩人の山水の景物に対する描き方から、後世の山水詩との間にその淵源としての関係をある程度見出すことはできるかも知れない。」と言う。小尾郊一『中国文学における自然と自然観』でも『詩経』に描かれた山水自然の描写を分析し、おおむね比興的な用い方をされていて、山水そのものをめでる意識はないと結論づける。最近でも孫旭輝「自然審美經驗視閾下的山水内質分析」は『詩経』の山や河川の描写を詳細に分析し、それらを原始的自然神崇拝に表れたもの、比興の運用の中に表れて情感表現の背景となっているもの、自然審美意識の発生を内包するものの三種に分類している。これらはいずれも山水に対する美意識の観点からの分析である。山水以外の情景描写にも範囲を広げてみると、大雅の開国叙事詩の中には神話故事の情景を事細かに描くものがいくつか見られる。山水の描写とはまた別の観点からの分析も可能であろう。本論では大雅開国叙事詩の情景描写の分析を通して、その変化の過程、及び作詩の目的の違いについて考察する。
著者
加藤 重広
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.27, pp.19-82, 1997

日本語の日常会話では,本来助詞が存在するような位置に助詞が現れない発話が頻繁に見られる。一般に日本語の場合,動詞と意味上関わりを持つ名詞(句) は格助詞を後接させてその意味的関係を明示できる。そして,動詞の意味的特質と関連させて,格助詞の意味や用法の記述をすることも行われている。本論文では,本来助詞が現れてしかるべき位置に助詞が現れない場合について考える。助詞がないという現象も実は単純なものではなく, いくつかのパターンに分けて考えることが可能である。そのうち、助詞が出現しないことが義務的である場合や逆に無助詞では非文となる場合などを検討しながら,その実態を考えていく。本稿では本来格助詞などの助詞があるべきところに助詞を欠くものを一括して〈ゼロ助詞〉と呼ぶことにする。また,本稿は主としてこの〈ゼロ助詞〉の談話における機能を明らかにすることを目的とする。
著者
中島 淑恵
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.65, pp.203-219, 2016

ニューオリンズ時代のラフカディオ・ハーンが,フランスの詩人シャルル・ボードレールの影響を強く受けていたことは明白である。とりわけ,ボードレールが晩年に試みた散文詩,すなわち詩的散文という新たな形式は,ハーン独自の表現形式の獲得に大きな影響があったものと考えられる。もちろんこのことは単なる表現形式の問題にとどまらない。『悪の華』よりはむしろ『小散文詩集』で展開される,いわゆるボードレール的夢想が,ジャーナリストとして健筆をふるっていたニューオリンズ時代のハーンの詩的夢想の展開にも大きな影響を与えているものと考えられるからである。このことは,1879年から1884年までの間に『アイテム(Item)』紙や『タイムズ・デモクラット(Times Democrat)』紙に相次いで掲載され,ハーンの死後にハトソンによってまとめられた『気まぐれ草(Fantastics and other Fancies)』に収められたハーンの詩的散文の数々によって明らかになる。これらの詩的散文のどのような点がボードレール的であり,このことが後の,とりわけ来日後のハーンの創作にどのような影響を及ぼしているかについて考察することもまた興味深いものであろうが,小論ではその出発点となった,ハーンによるものと思われるボードレールの4つの散文詩の英訳について精査を行ない,後の論考に資するための基礎固めとしようとするものである。
著者
藤田 秀樹
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
no.65, pp.149-164, 2016

ロナルド・レーガン政権下の1980 年代アメリカにおいては,「家族の価値」と呼ばれるものが一種の政治的,社会的,文化的,そして道徳的スローガンとなっていた。本論では,1989 年に発表されたダニー・デヴィートの監督作品『ローズ家の戦争』(The War of the Roses) を「家族の物語」として観ていくことにする。まず我々の目を引くのはこのタイトルであろう。歴史的な出来事としての「薔薇戦争」(Wars of the Roses, 1455-1485) に掛けたものであろうが,「戦争」というおだやかならざる語句が,不穏で不吉な物語の展開を予感させる。戦いはもっぱら夫と妻の間で交わされるので,タイトルは「ローズ夫妻の戦争」とも訳しうる。『ローズ家の戦争』の「戦争」は,様々な策謀やいやがらせで相手を挑発し苛立たせる神経戦を経て,最終的に家庭を戦場として,食器や家具調度品を武器として用いる文字通りの暴力的な白兵戦に発展する。そしてその「戦争」は,夫婦の「戦死」とともに幕を閉じる。不穏なタイトルといい,家族間の亀裂や憎悪や争闘によって駆動される物語展開といい,『ローズ家の戦争』は同時代の公的スローガンである「家族の価値」に冷水を浴びせるような物語であり,その点で,家族をめぐる1980 年代の多様な映画的語りの系譜に連なる作品であると言えよう。以下,これらのことを念頭に置きつつ,この映画を仔細に検討していくことにする。
著者
加藤 重広
出版者
富山大学人文学部
雑誌
富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.31-64, 1997-03-21

日本語の数量詞(quantifier)に関する問題はこれまで様々なかたちで考察されてきており,論点は整理されてきたように見える。①子豚が三匹いました。(NCQタイプ)②三匹の子豚がいました。(Q-no-NC タイプ)③子豚三匹がいました。(NQCタイプ)。本稿では,まず「数量詞」の様々な形を網羅的に議論できるように,その用語を定義することから始める。「数量詞」の定義は単純なようで厄介な問題を含んでおり,数量詞分析のアプローチに直結する問題も含んでいるので,避けて通るわけには行かない。その後で,まずNCQタイプの数量詞(遊離数量詞)の性質について多角的に分析を試みる。次に,Q-no-NCタイプの数量詞文(連体数量詞文)の意味とNCQ夕イプの数量詞文(遊離数量詞文)の意味の違いを分析する。これら連体数量詞と遊離数量詞の差異は,従来の意味統辞的な準位だけでなく,談話文法のレベルでの分析が必要である。多くの例文に当たりながら,話者の認知がいかに反映されるかについて,一つの仮説を示し,あわせてその検証を行う。