- 著者
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渡邉 憲正
- 出版者
- 関東学院大学経済経営研究所
- 雑誌
- 関東学院大学経済経営研究所年報 (ISSN:13410407)
- 巻号頁・発行日
- vol.39, pp.26-41, 2017-03
市民社会は,西欧の概念伝統においては国家に等しい。この場合,国家は,政治体制として社会的な再生産領域と対立する統治(支配)機関だけでなく,再生産領域をも包括する支配=被支配関係の全体を意味した。ところが,こうした「国家=市民社会」理解は戦後日本においてほとんど見失われ,市民社会は,一方では自由な諸個人の対等な関係からなる政治社会として理念化され,他方では経済社会あるいはブルジョア社会として把握されながら,しかも2つの系譜は「近代文明社会」として混交された。いずれの把握においても,市民社会における国家権力による統治--近代国家の「二重構造」--という肝心な契機が問われず,市民社会は政治的に理念化され,市民社会批判という課題が曖昧にされた。本稿は戦後日本の市民社会論が基本的に市民社会を「近代文明社会」として理解したことを確認し,このことがもつ問題性を指摘するものである。