著者
尾留川 方孝
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.88, pp.111-145, 2017-09-30

年中行事という範疇がいかにして成立したか、その過程を明らかにする。 律令国家のはじめには、神祇祭祀は政治に先立ち独立性があるとされ固有の範疇をなす。律令的儀礼はそのあとに導入されたもので複数の種類があった。それらの儀礼は互いの関係を確立してはいない。その後、喪葬儀礼が他の儀礼を停止により実現されるものへ変質したのを契機に、諒闇で停止される儀礼という範疇が明確に形成された。さらに平安時代のはじめに神祇祭祀が律令的儀礼化し、その範疇に加わった。また平安時代のはじめには、神祇祭祀での排除対象として穢れが規定され、ほどなく神社でのゴミやヨゴレもそこに取り込む。すると朝廷で掃除されていたゴミやヨゴレは神祇祭祀を損なう穢れと重ねられ、さらに掃除が常に求められる事実は、朝廷を実施場所とする諸儀礼も穢れの排除を求めるからと再解釈される。そしてこの認識こそが諸儀礼を一つの範疇としてまとめたのである。こうした諸儀礼の関係や範疇の変遷は、平安時代に編纂された儀式書の構成の変遷と対応している。

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尾留川 方孝 -  年中行事という範疇はいかにして成立したか ―喪葬儀礼の変容と穢れ観念の成熟の影響― https://t.co/2nPsHUHdLf

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