著者
尾留川 方孝
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.100, pp.33-58, 2021-09-30

古代日本では国家の象徴の一つとして『日本書紀』にはじまる六つの歴史書が編纂されたが、『三代実録』を最後に編纂は頓挫する。しばしば『栄花物語』や『大鏡』などが、これらの後継もしくは代替のように扱われるが、本稿では、儀式書が六国史の後継もしくは代替の一つとして理解可能であることを論じる。現在および過去の了解や把握方法の一つとして歴史書を位置づけたうえで、六国史に見える儀礼の記事がしだいに増加するとともに、規範との異同に意識が払われるようになり、『類聚国史』で六国史を分解・分類し儀式書と同様の形式に再編されたことをたどる。歴史書が儀式書へと移行したとする解釈が可能であり、その根底には現在および過去の了解や把握方法の変化があることを示す。
著者
尾留川 方孝
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.97, pp.27-54, 2020-09-30

『日本書紀』神代巻が、本文に複数の一書を加えるという特徴的構成になった理由について、根底にある観念や認識から考察する。『日本書紀』は複数ある帝紀・旧辞の正誤を判断し取捨選択し、国家の基礎とすべき「正しい」ものを残すことが、編纂の動機であった。したがって、神代紀に複数記される一書は、たとえ資料の姿をとどめていたとしても、すでに取捨選択の結果「正しい」と判断されたものである。ところで崇神紀で象徴的に記されているように、神の意思は再現せず一定しない。神は、いわば自己同一性が成立していないと言いうる存在であり、収束する単一の「正しい」内容は想定しえない。『日本書紀』の編纂者の根底には、不足する情報をも集め合わせて「全体」を記述すべきという観念もあるので、神が「不測」であることをあらわすためには、矛盾する複数の説をも併記することが必要とされた。だからこそ『日本書紀』神代巻は本文と一書を併記する構成となったのである。
著者
尾留川 方孝
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.88, pp.111-145, 2017-09-30

年中行事という範疇がいかにして成立したか、その過程を明らかにする。 律令国家のはじめには、神祇祭祀は政治に先立ち独立性があるとされ固有の範疇をなす。律令的儀礼はそのあとに導入されたもので複数の種類があった。それらの儀礼は互いの関係を確立してはいない。その後、喪葬儀礼が他の儀礼を停止により実現されるものへ変質したのを契機に、諒闇で停止される儀礼という範疇が明確に形成された。さらに平安時代のはじめに神祇祭祀が律令的儀礼化し、その範疇に加わった。また平安時代のはじめには、神祇祭祀での排除対象として穢れが規定され、ほどなく神社でのゴミやヨゴレもそこに取り込む。すると朝廷で掃除されていたゴミやヨゴレは神祇祭祀を損なう穢れと重ねられ、さらに掃除が常に求められる事実は、朝廷を実施場所とする諸儀礼も穢れの排除を求めるからと再解釈される。そしてこの認識こそが諸儀礼を一つの範疇としてまとめたのである。こうした諸儀礼の関係や範疇の変遷は、平安時代に編纂された儀式書の構成の変遷と対応している。