著者
片山 剛 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
no.14, pp.127-138,

夫が新たに別の妻を持つ場合、元の妻を「こなみ」、後の妻を「うはなり」と言った。そして「こなみ」はしばしば「うはなり」を憎むあまり暴力を振るう(あるいは人を使って振るわせる)こともあった。これが「うはなり打ち」である。しかし「こなみ」と「うはなり」が仲睦まじいこともありえたし、「うはなり打ち」がおこなわれる場合でも時代によってその性格は異なっていたようで、また同じ時代でもすべて同じようにおこなわれたわけでもなかった。本稿では、平安時代の文学を中心にしつつ、前後の時代にも目配りして「うはなり」「こなみ」の様相をたどる。

言及状況

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“後家打ち”に関する論文を探してみた。 政子も載ってます(苦笑)。 片山 剛「「うはなり」「こなみ」の諸相 (1) :平安時代を中心に」 https://t.co/VT8buLIqYc 片山 剛「「うはなり」「こなみ」の諸相 (2) :鎌倉、室町、江戸時代を中心に」 https://t.co/jlOrosOEbd #鎌倉殿の13人
弘徽殿女御らが光源氏の母の桐壺更衣にしたのが一種の「うはなり打ち」だという。弘徽殿女御は桐壺帝の第一皇子を産んでいる。北条政子は頼家の出産後に亀の前に「うはなり打ち」したという。このあたり似てる。 https://t.co/q0cqRjNgRU
平安時代の「うはなり打ち」についての論文。『宝物集』や『吾妻鏡』は同時代史料ではないけど。女性当人は処罰されないけど、関係者は全くお咎めがなかったわけではない感じ。 https://t.co/q0cqRk4jTU

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