著者
片山 剛 千里金蘭大学 教養教育センター
出版者
千里金蘭大学
雑誌
千里金蘭大学紀要 (ISSN:13496859)
巻号頁・発行日
pp.113-125, 2018

鎌倉時代の説話集、室町時代の謡曲、物語を中心に「うはなり」と「こなみ」の嫉妬や「うはなり打ち」がどのように文学作品に描かれているかを探る。「うはなり打ち」は先妻による後妻への暴力という意味を超えて用いられることや嫉妬の苦しみを救済する仏教の力などに注目する。また、江戸時代になると「うはなり打ち」はおこなわれなくなったようだが、過去のものとして「うはなり打ち」をどのように見ていたかを考えてみる。
著者
片山 剛 Takeshi Katayama 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
vol.12, pp.1-12,

平安時代中期に強大な権力を掌握した藤原道長(966~1027)は、一方では篤い宗教心を持っていたことが諸史料から知られる。その宗教心はどのようにして育まれ、またそれはどのような形に具象化されたのであろうか。彼が政権を不動のものにした三十代後半から当時初老とされた四十代初めにかけて、元号でいうなら寛弘(1004~1012)の前半に当たる時期は、彼の周辺に公私共にさまざまな出来事があった。そんな日々の中で、先祖への崇敬、現世における願望の成就、そして未来の極楽往生に向けて彼がおこなった宗教活動について考察する。
著者
片山 剛 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
no.14, pp.127-138,

夫が新たに別の妻を持つ場合、元の妻を「こなみ」、後の妻を「うはなり」と言った。そして「こなみ」はしばしば「うはなり」を憎むあまり暴力を振るう(あるいは人を使って振るわせる)こともあった。これが「うはなり打ち」である。しかし「こなみ」と「うはなり」が仲睦まじいこともありえたし、「うはなり打ち」がおこなわれる場合でも時代によってその性格は異なっていたようで、また同じ時代でもすべて同じようにおこなわれたわけでもなかった。本稿では、平安時代の文学を中心にしつつ、前後の時代にも目配りして「うはなり」「こなみ」の様相をたどる。
著者
飯島 洋一 田沢 光正 宮沢 正人 長田 斉 稲葉 大輔 片山 剛
出版者
Japanese Society for Oral Health
雑誌
口腔衛生学会雑誌 (ISSN:00232831)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.43-50, 1985 (Released:2010-10-27)
参考文献数
24
被引用文献数
1

フッ素洗口ならびに飲料水由来のフッ素が, 乳歯エナメル質へのフッ素取り込み量にどのような影響を与えるかを健全脱落乳歯135歯を用いてフッ素洗口経験年数別あるいは飲料水中フッ素濃度別に検討した。フッ素洗口 (F: 500ppm, pH6.0, 5回/週) を経験した乳歯エナメル質表層1μmにおけるフッ素濃度は, 洗口経験年数が1年から4年に増加するに従い4,300ppmから7,300ppmへと増大し, 非洗口群 (飲料水中フッ素濃度0.1ppm未満) に比較して統計学的に有意に高いフッ素濃度であった。フッ素洗口経験年数を重ねることによるフッ素濃度の上昇傾向は, 1μm層に限られ, 5μm層では対照群のフッ素濃度に比較して統計学的に有意の差は認められなかった。一方, 飲料水由来のフッ素の影響を受けたと思われる乳歯エナメル質フッ素濃度は, 飲料水中のフッ素濃度が1.0ppm以上の場合, 表層1μmのフッ素濃度が10,000ppm前後と著しく高く, 内層40μmにおいても対照群に比較して明らかに高いフッ素濃度を示していた。また1.0ppm以上の群は5μm層以上40μm層にいたるすべての層で対照群あるいは洗口群に比較して統計学的に有意に高いフッ素濃度であった。これに対し, フッ素濃度0.3ppmの群は5μm層では対照群に比較して統計学的に有意の差を認めることが出来なかった。1.0ppm以上の群で表層5μmから内層40μmにいたるまで対照群に比較して一定の高い濃度勾配を示したことは, 乳歯の萌出前・萌出後に獲得されるフッ素の影響によるものと思われる。
著者
片山 剛 Takeshi Katayama 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
vol.11, pp.87-99,

後白河法皇の嗜好によって制作された『伴大納言絵巻』は、九世紀に起こった応天門の火災に取材した説話を絵画化したもので、炎の描写、多様な人物の躍動感にあふれた表現、劇的な展開などの魅力に溢れた絵巻物屈指の名作である。しかし、絵画の読み解きは必ずしも完全に行われているとはいえず、また絵巻物という性質ゆえに原本の体裁をそのまま伝えているとも思えないなどの問題を孕んでいる。 本稿では、従来の説に多くを依拠しながらも、未解決の問題に私見を加え、併せて細部の読み解きを試みるものである。
著者
片山 剛 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
vol.14, pp.127-138,

夫が新たに別の妻を持つ場合、元の妻を「こなみ」、後の妻を「うはなり」と言った。そして「こなみ」はしばしば「うはなり」を憎むあまり暴力を振るう(あるいは人を使って振るわせる)こともあった。これが「うはなり打ち」である。しかし「こなみ」と「うはなり」が仲睦まじいこともありえたし、「うはなり打ち」がおこなわれる場合でも時代によってその性格は異なっていたようで、また同じ時代でもすべて同じようにおこなわれたわけでもなかった。本稿では、平安時代の文学を中心にしつつ、前後の時代にも目配りして「うはなり」「こなみ」の様相をたどる。
著者
片山 剛 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
no.16, pp.121-132,

人の心の機微を描いて他の物語の追随を許さぬ名作『源氏物語』には嫉妬の感情も随所に描かれる。たとえば、女性主人公と言ってもよい紫の上は何ごとにも完璧な人物でありながら、嫉妬深いところが欠点のように描かれる。しかし実はそれこそが彼女の個性であり人間的魅力でもあるともいえる。本稿では、嫉妬せざるを得ない人々の、その嫉妬ゆえにまた悩みを重くする姿が、物語をどのように深みのあるものにしているのか、そして嫉妬の描写が人物造型にどのように関わっているかを探ってみたい。
著者
片山 剛 千里金蘭大学 教養教育センター
巻号頁・発行日
vol.15, pp.113-125,

鎌倉時代の説話集、室町時代の謡曲、物語を中心に「うはなり」と「こなみ」の嫉妬や「うはなり打ち」がどのように文学作品に描かれているかを探る。「うはなり打ち」は先妻による後妻への暴力という意味を超えて用いられることや嫉妬の苦しみを救済する仏教の力などに注目する。また、江戸時代になると「うはなり打ち」はおこなわれなくなったようだが、過去のものとして「うはなり打ち」をどのように見ていたかを考えてみる。
著者
片山 剛 Takeshi Katayama 千里金蘭大学 教養教育センター
出版者
千里金蘭大学
雑誌
千里金蘭大学紀要 (ISSN:13496859)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.87-99,

後白河法皇の嗜好によって制作された『伴大納言絵巻』は、九世紀に起こった応天門の火災に取材した説話を絵画化したもので、炎の描写、多様な人物の躍動感にあふれた表現、劇的な展開などの魅力に溢れた絵巻物屈指の名作である。しかし、絵画の読み解きは必ずしも完全に行われているとはいえず、また絵巻物という性質ゆえに原本の体裁をそのまま伝えているとも思えないなどの問題を孕んでいる。 本稿では、従来の説に多くを依拠しながらも、未解決の問題に私見を加え、併せて細部の読み解きを試みるものである。
著者
田中 仁 許 衛東 宮原 曉 山田 康博 堤 一昭 秋田 茂 青野 繁治 片山 剛 三好 恵真子 今泉 秀人 大谷 順子 竹内 俊隆 高橋 慶吉 木村 自 思 沁夫 西村 成雄 丸田 孝志 江 沛 許 育銘 周 太平 李 朝津
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

(1)統合後の大阪大学における現代中国研究の部局横断的プラットフォームとして、中国文化フォーラムを改組した。(2)中国南開大学・台湾東華大学との研究セミナーの共同開催をふまえて、東アジア学校間交流の定例化をめざした。(3)『大阪大学中国文化フォーラム・ディスカッションペーパー』を刊行した。(4) 本研究の成果を、時間軸・社会空間軸・日中関係軸の三部構成とし、各部で歴史学と諸ディシプリンとの対話を提示する『共進化する現代中国研究』としてとりまとめた。