著者
大賀 郁夫 Ikuo OGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.1-26, 2018-03-09

幕末期の一連の政治史において、薩摩・長州・土佐・越前各藩など雄藩が、重要な役割を果たしたことは言うまでもないが、藩全体の八割を占めた九万石以下の小藩はいかにして幕末期を乗り切り、維新を迎えたのだろうか。本稿では、日向延岡藩七代藩主であった内藤政義が記した自筆『日記』から、元治~慶応期に譜代小藩である延岡藩の動向を考察した。政義の交際は、実家の井伊家、養子政挙の実家太田家、それに趣味を通じて交流のあった水戸徳川家など広範囲にわたる。元治元年七月の禁門の変以降、二度に及ぶ長州征討に政挙が出陣しているが、江戸にいる隠居政義は高島流炮術や銃槍調練に励む一方、政局とはかけ離れた世界に居た。政義は梅・菖蒲・桜草・菊観賞に頻繁に遠出し、また水戸慶篤と品種交換や屋敷の造園に勤しんだ。在所からの為替銀が届かず藩財政は破綻に瀕しており、慶応三年末、薩摩藩邸の焼き討ちを契機に政義は在所延岡への移住を決断する。六本木屋敷に養母充真院を残したまま、翌慶応四年四月、政義は奥女中や主な家臣家族ともども品川を出船し延岡へ向かった。幕末期の譜代小藩の動向を窺うことができる。

言及状況

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明治21年11月18日、日向延岡藩の第7代藩主だった内藤政義(井伊直弼の弟)が死去。大賀郁夫「隠居大名の幕末・維新」(『宮崎公立大学人文学部紀要』25-1、2018年)は、譜代小藩の隠居が幕末をどのように生きていたのか、政義の元治元年〜慶応4年の日記を分析。 https://t.co/8JIBeLzcJG
こんな論文どうですか? 隠居大名の幕末・維新―延岡藩内藤政義の『日記』から―(大賀 郁夫ほか),2018 https://t.co/Cqb0ih0zSY
高嶋流の調練と言うと相応の人数でやる感じだけど、年間120回の稽古のうち70回以上参加は18人とかで結構少ない。「稽古人無人につき調練休み」とか「雨天ニ成候ニ付早仕舞」とかも。まぁ江戸藩邸だからか。養母とやりとりした贈り物も興味深い https://t.co/sorYCUzgJj

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