- 著者
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石井 翔子
- 出版者
- 東京女子大学論集編集委員会
- 雑誌
- 東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
- 巻号頁・発行日
- vol.64, no.1, pp.53-85, 2013-09
本稿では、子規の短歌に詠まれた天体(太陽、月、星)にどの感覚表現が用いられているのかに注目し、短歌に見られる天体の表現が子規の生活の変化にどのように対応しているのかを明らかにする。天体を表す語彙の使用状況を調査した結果、次のことが明らかになった。1、全ての天体語彙に視覚表現が用いられている。月には触覚表現の使用も見られる。古典への意識が短歌革新後にも残り、また子規にとって月が古典の影響を受けやすい材料であると考えられる。2、子規の作品の太陽の表現方法の一つに、太陽の動きによって時間の推移を表現する方法がある。またその表現方法は、外出先の出来事の記録に多い傾向である。子規の短歌にもその表現方法が見られる。外出が不自由となった明治33年以降に、子規は短歌に太陽を詠むことが少なくなったが、この子規の太陽の表現方法が実生活と合わなくなった為と考えられる。3、月を詠んだ作品数が、太陽と星の場合よりも多くなっている。その理由として、子規の月への興味が強いことと、子規にとって空想や回想によって詠むことのし易い材料であったことが考えられる。しかし明治33年以降は月を詠む傾向が弱まっている。その理由として、子規にとって月の表現は、景色の一つとして表現され易い題材であったことが考えられる。その表現方法は、明治32年の、短歌は時間的なことを含むのに適しているという子規の考えと、一致しないものである。4、明治33年の子規の短歌では多様な趣向で星を詠んでいるが、34年以降は星を詠んだ短歌作品が見られない。その理由として、子規の星への興味の薄さと当時の子規の目の不調、糸瓜棚の設置による視界の狭まりが考えられる。