- 著者
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洲澤 育範
Suzawa Ikunori
- 出版者
- 神奈川大学 国際常民文化研究機構
- 雑誌
- 神奈川大学 国際常民文化研究機構 年報 (ISSN:21853339)
- 巻号頁・発行日
- vol.2, pp.173-200, 2011-08-31
カヤックとカヌーという言葉が日本に広く定着しはじめたのは、今から約20数年まえのことだ。戦後復興から働きに働いた高度経済成長期が終わり、人々はゆとりを求め、余暇の過ごし方としてアメリカ製の野外生活術・アウトドアーライフを受入れた。それを追うようにバブル景気の波にのり、欧米から、水域でのレクリエーションや旅、スポーツや冒険の道具として、カヤックとカヌーが日本へ渡ってきた。以後こんにちまで、日本で流通販売しているカヤックとは、極北の先住民・イヌイットたちの獣皮舟を、カヌーとは北米の先住民・インディアンたちの樹皮舟を素材・形状ともに、取り扱いを安易に、経験のない人にも乗りやすくした舟のことをいう。昨今では健康増進、スポーツ用として繊維強化プラッスチックで作られたアウトリガーカヌーも輸入されている。さて、それでは今日以前の日本と伝統的なカヤック・獣皮舟、バーク・カヌー・樹皮舟の関係はどうだったのか?日本の博物館などに現存するそれらの構造・工法を、その作り手・漕ぎ手の視点、また極北の原野をハンターとカヤックで旅し、あるいはバーク・カヌーの生まれ育ったカナダの深い森で、アルゴンキンインディアンやオジブエインディアンとすごし「体に刻みこんだ記憶を職人の言葉に置き換えて」論じてみよう。 あわせて環北太平洋の自然環境が、どのように海洋・水圏文化のつながりを生み出し維持したか、あるいは北半球の交易でどのような役割を演じたかについても考察をくわえるとする。 さらに自班は「環太平洋海域における伝統的造船技術の比較研究・代表者・後藤明」である。カヌー文化は機械文明との接触以降、1900年代の初頭より急速にこの地球上から姿を消しはじめた。しかし、1976年のハワイの古代航海カヌー・ホクレア号が行ったハワイ~タヒチ航海を機に、近年とみに、カヌールネッサンス・海人の忘れさられようとしている海洋文化の復興が盛んになりつつある。あるいは途絶えて久しい北方交易以来、カヤック、バーク・カヌーがその素性を変え、環北太平洋をぐるりとまわり、再び日本との係わりを深めようとしている。そのような状況のなか、われわれの役目はどこにあるのか、海洋教育の手段としてのカヤックやカヌー、そして漕ぎ続ける常民、作り続ける常民の礎のひとつを提案することが本稿の主旨である。なお、本稿はウェヴサイトに掲載されることを前提に、本文中には参考映像などのURLを併記する。論文