著者
中野 泰 Nakano Yasushi
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
神奈川大学 国際常民文化研究機構 年報 (ISSN:21853339)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.57-74, 2010-10-30

本稿は、「漁業民俗」の研究動向(1980年代〜)を取り上げ、海洋民族学(海洋人類学)と対比しつつ、社会・歴史的文脈を重視する視角から整理・検討した。研究史の展開を4つのテーマ領域(「漁民社会研究」「知識・技能研究」「サブシステンス研究」「資源利用の研究」)別に整理し、以下の3 点が主たる課題として導かれた。 既存の「漁業民俗」の研究においては、第一に、「漁業民俗」の担い手の位置づけが、漁村、あるいは主体的個人という二通りの捉え方に乖離したままで不充分であること、第二に、「漁業」の範囲を、生産や技能中心の概念へ暗黙裡に限定しており、現況を捉える困難さがあること、第三に、変化の契機、条件や要因の分析が不充分な点である。 以上の課題に対し、本稿では、第一に、世帯・家族レベルに焦点化して「主体」概念を深化させ、社会構造との間の弁証法的関係を重層的に関連づける必要を説いた。そのためには、具体的な場の文脈に即して検討する必要がある。第二に、「漁業」概念を拡張し、家内労働を含め、地域社会における生活文化と連関させること、第三に、地域社会外と連鎖する関係性も捉え、科学技術や社会経済の動向などのより広い国内外の時代的文脈に位置付け、変動の契機、その諸条件や要因の分析が必要であると説いた。 漁業をめぐる価値観が多様化しつつある現在、「漁業民俗」の研究は、グローバルに展開する関係性を対象に入れ、異なる立場で関わる者へもミクロに迫り、現象を取り巻く力関係を歴史的社会的文化的文脈へ位置づける必要がある。その力関係を対象化する上で、巷間に流布する「海民」概念など、「主体」に関わる民俗学の表象が有する歴史的背景と政治性への省察を行う必要もあることを説いた。
著者
佐々木 長生 Sasaki Takeo
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
神奈川大学 国際常民文化研究機構 年報 (ISSN:21853339)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.107-126, 2012-09-28

民具名称のなりたちについて、自然環境および歴史的背景からの多様性の一例として、会津地方の山袴の名称を取り上げる。調査対象地は、福島県南会津郡只見町の民具名称を中心に、会津地方と隣接する新潟県魚沼地方を主な範囲とする。また、民具名称の歴史的背景については、貞享元年(1684)の『会津農書』や翌年の会津各地の風俗帳、文化4年(1707)の風俗帳、紀年銘のある農耕図絵馬や農書類に描かれた絵画資料を分析資料とする。新潟県魚沼地方の天保7年(1836)に著述された鈴木牧之の『北越雪譜』の記述と、併せてそこに描かれた絵図も比較資料として用いた。一方、民具としての資料としては只見町所蔵の重要有形民俗文化財指定「会津只見の山村生活用具と仕事着コレクション」(2333 点)や、会津民俗館所蔵の福島県指定重要有形民俗文化財指定「会津の仕事着コレクション」(476 点)なども資料として用いた。特に只見地方の民具については、『図説 会津只見の民具』を中心に使用方法等を写真で示し、『北越雪譜』に描かれた民具の使用風形や形態の比較資料とした。 以上の研究方法から、近年まで着用されてきた会津地方の仕事着姿、「ジバン(上衣)にサルッパカマ(下衣)」という一般的な名称のなりたちについて、その民俗的・歴史的な視点から考察することが本稿の目的である。特に、サルッパカマと呼ばれる山袴については、会津平坦部での名称である。一方、大沼郡の山間部から南会津郡西部地区ではユッコギ・カリアゲユッコギ、またはホソッパカマ等の名称が一般的である。ユッコギは「雪こぎ」からの名称とみられ、深雪地方に存在するとするという仮説もある。サルッパカマの名称も文化4年の『熊倉組風俗帳』(喜多方市熊倉付近)等に初出して、その30 年ほど前から着用され始まったとある。それ以前の農耕図には、山袴類の着用は確認することができない。このように民具名称を歴史的に確認できることは、民具名称のなりたちを考えるうえで、きわめて有効な資料であろう。会津地方の山袴の名称、サルッパカマやカリアゲユッコギはその一例である。論文
著者
洲澤 育範 Suzawa Ikunori
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
神奈川大学 国際常民文化研究機構 年報 (ISSN:21853339)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.173-200, 2011-08-31

カヤックとカヌーという言葉が日本に広く定着しはじめたのは、今から約20数年まえのことだ。戦後復興から働きに働いた高度経済成長期が終わり、人々はゆとりを求め、余暇の過ごし方としてアメリカ製の野外生活術・アウトドアーライフを受入れた。それを追うようにバブル景気の波にのり、欧米から、水域でのレクリエーションや旅、スポーツや冒険の道具として、カヤックとカヌーが日本へ渡ってきた。以後こんにちまで、日本で流通販売しているカヤックとは、極北の先住民・イヌイットたちの獣皮舟を、カヌーとは北米の先住民・インディアンたちの樹皮舟を素材・形状ともに、取り扱いを安易に、経験のない人にも乗りやすくした舟のことをいう。昨今では健康増進、スポーツ用として繊維強化プラッスチックで作られたアウトリガーカヌーも輸入されている。さて、それでは今日以前の日本と伝統的なカヤック・獣皮舟、バーク・カヌー・樹皮舟の関係はどうだったのか?日本の博物館などに現存するそれらの構造・工法を、その作り手・漕ぎ手の視点、また極北の原野をハンターとカヤックで旅し、あるいはバーク・カヌーの生まれ育ったカナダの深い森で、アルゴンキンインディアンやオジブエインディアンとすごし「体に刻みこんだ記憶を職人の言葉に置き換えて」論じてみよう。 あわせて環北太平洋の自然環境が、どのように海洋・水圏文化のつながりを生み出し維持したか、あるいは北半球の交易でどのような役割を演じたかについても考察をくわえるとする。 さらに自班は「環太平洋海域における伝統的造船技術の比較研究・代表者・後藤明」である。カヌー文化は機械文明との接触以降、1900年代の初頭より急速にこの地球上から姿を消しはじめた。しかし、1976年のハワイの古代航海カヌー・ホクレア号が行ったハワイ~タヒチ航海を機に、近年とみに、カヌールネッサンス・海人の忘れさられようとしている海洋文化の復興が盛んになりつつある。あるいは途絶えて久しい北方交易以来、カヤック、バーク・カヌーがその素性を変え、環北太平洋をぐるりとまわり、再び日本との係わりを深めようとしている。そのような状況のなか、われわれの役目はどこにあるのか、海洋教育の手段としてのカヤックやカヌー、そして漕ぎ続ける常民、作り続ける常民の礎のひとつを提案することが本稿の主旨である。なお、本稿はウェヴサイトに掲載されることを前提に、本文中には参考映像などのURLを併記する。論文