著者
金井 静香
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.p339-371, 1995-05

個人情報保護のため削除部分あり本稿では、中世における公家領安堵の実態を明らかにし、安堵が公家を編成する上で果たしてきた役割について分析を行った。鎌倉後期、本家や治天の君は、本主へ所領を返付するべく努めていたが、その実現には相当の困難を伴っていた。治天の君の安堵権能と本家のそれとが互いに拮抗する当時においては、安堵者間の相互交渉が、被安堵者を確定する上で重要な役割を果たしていた。また安堵にあたり、申請した公家と安堵者の間の主従制的関係は依然重視されたが、公家領相論が増加する中、安堵獲得のために申請者が満たすべき条件は一層厳しくなった。その結果、安堵が権門・諸家の間の相互関係を混乱させる事態も生じた。このような状況を大きく変化させたのが、建武新政期における後醍醐天皇の安堵政策である。この時期に、家門管領者の地位が安堵対象となり、家領の一括安堵が家門安堵と連動させて行われた。この家門・家領一括安堵の権能は、南北朝期には治天の君の行使するところとなり、それによって家門と家領の相関性が高められた。そして治天の君は、安堵によって公家を編成することが可能になった。

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