- 著者
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浜井 和史
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.87, no.1, pp.1-35, 2004-01
個人情報保護のため削除部分あり対日講和を機に米国務省内では、ハワードやダレスによって「太平洋協定」構想が考案された。それはアジア太平洋地域における包括的な安全保障枠組みの構築を追求するものであったが、「太平洋版NATO」の役割を期待するアジア太平洋諸国の関心とは異なり、講和を急ぐ国務省は、講和後の米軍駐留や日本再軍備など軍部が求める安全保障上の要請を満たし、同時に「寛大な講和」を早期に実現する「装置」として「太平洋協定」を立案した。その意味で米国の関心は当初より限定的であり、集団防衛体制の構築という観点は実際には二義的なものに過ぎなかった。したがって、一九五一年初頭の東京会談において、米国にとって実質的に満足すべき合意が日米二国間でもたらされると、米国はその後の講和交渉において、包括的な「太平洋協定」を実現するという所期の構想に固執する必要を失い、その結果、日米、ANZUS、米比というそれぞれ性格の異なる個別的な安金保障取極めが締結されることになった。