- 著者
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堀 裕
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.87, no.6, pp.719-748, 2004-11
天皇等の国家的周忌仏事である「国忌」を素材に、平安初期における天皇権威の再編過程を検討した。八世紀後半に天皇権威が動揺する中、代々の天皇すべてを重視する必然性はなくなり、その再編の前提となっていた。桓武朝には、天智天皇を八世紀初頭同様「王朝の始祖」として継承する一方で、光仁天皇を「新王朝の始祖」と位置付けた。とくに「新王朝」は、長岡京や平安京など都城に体現されたと考えられる。又、長岡京において実行された延暦十年の国忌省除は、これまで「天武系」皇統排斥論や、「天武系」皇統から「天智系」皇統への交替などの論拠とされてきた。しかし、これらの説は成り立たない。むしろ、天智天皇を始祖としつつ、代々の天皇を重視しない点で他の施策と共通する。その後建設された平安京の特色は、長岡京での政策を継承しつつ個々の天皇権威を超え、天皇位そのものを重視した東寺・西寺が建立された点にある。東寺・西寺での国忌実施は、桓武朝より本格的に開始された天皇権威再編の一つの帰結とみなすことができる。