- 著者
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横内 吾郎
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.88, no.4, pp.576-603, 2005-07
エジプトは第二次内乱期の非常に早い段階においてマルワーン家によって支配が回復され、その統治はカリフ・アブド・アルマリクの弟アブド・アルアズィーズに委ねられた。彼はワリー・アルアフドであり、総督として王朝への貢献も大きく、強大な権力を保持した。一方で、エジプトは旧来の西方征服の拠点であったが、征服が進展し、その拠点がエジプト西方のイフリーキヤ地方に移動したことで、その軍事的意義を薄めていった。このために、マルワーン家のカリフたちはエジプトに求心力を有する総督を必要としなくなり、アブド・アルアズィーズの死後、総督の職掌を分割してその権力を制限し、自らの意の通じるマワーリーを「租税」職に任用して州の財政に介入した。その後この職掌分割体制は、エジプトが深刻な戦乱に見舞われなかったこともあるが、カリフの交替によっても覆されることなく王朝の滅亡まで維持された。