著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 = Bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.26, pp.1-18, 2019-03

実乗は、相模大山寺別当に一八六八年三月着任直後、総督府より大山寺の立退きの宣告を受け、直後立退と本尊の山外移転を決めた。大山麓民は即時にこのことに反対し、本尊を山内に留めた。一八七六(明治九)年、俄かに本尊を納める不動堂再建の動きが起こり、麓村民・明王寺他子院・大工棟梁景元の三者で再建協議を開始した。村民は再建資金を旧御師持の檀那場から寺僧が調達するなど三者の個人的活動に依拠していたためこの協議には限界があった。一八八三(明治一六)年三月、新たに山口左七郎はじめ麓村の豪農・篤農や有力者を筆頭に、新築・庶務・寄付・出納の四係で構成された再建協会が組織化され、一八八五(明治一八)年一一月に不動堂が完成した。三者間の協議は、資金調達が最も難題であったが、麓村の豪農・篤農や参詣道の重立、有力者の結束により、慶應四年閏四月に廃寺通告された大山寺は、明治一八年一一月、僅か二〇年後に不動堂として再興された廃寺復興の稀な例である。別当実乗麓村民再建資金豪農・篤農大工棟梁

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