著者
筒井 大祐
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
仏教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.25, pp.1-13, 2018-03

京都府八幡市男山に鎮座する石清水八幡宮には、古文書や古典籍が数多く伝来しており、それらは石清水八幡宮古文書として、国の重要文化財に登録されている。その古典籍の中に、昭和二十二年の社務所の火災で焼失したとされる『八幡宮寺巡拝記』の現存を確認した。そこで本稿では、その『八幡宮寺巡拝記』の書誌調査と、諸本との比較を行い、石清水八幡宮本が諸本の内、最善本であると結論付けた。また『八幡宮寺巡拝記』は、『八幡愚童訓』などの八幡縁起と関連するとともに、八幡神(八幡大菩薩)という、神仏の霊験や信仰を主題とした説話集でもあるため、中世文学史における『八幡宮寺巡拝記』の文学史的意義も確認した。『八幡宮寺巡拝記』『八幡愚童訓』八幡信仰八幡縁起中世説話集
著者
村田 典生
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 = Supplement to the bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
no.6, pp.95-110, 2018-03

奈良・斑鳩の吉田寺はぽっくり寺として知られている。特に1970年代に全国的なブームで一躍「流行神」になった寺院である。当時は老人たちが群参したのだが,文献や石標からみるとぽっくり寺としては少なくとも近世や明治から昭和前期にかけては確認ができないのである。しかし,戦後女性たちが「顔を隠すように」訪れ今でいう介護の相談などをするうちにブームがやってきたのである。ぽっくり往生のための祈祷は恵心僧都源信の生母が浄衣を着て安楽往生という伝承から,源信の二十五三昧会や『往生要集』に影響により,下着を死に臨む人に見立てた臨終行儀を特化させた様式で,本尊阿弥陀如来坐像に安楽往生を願う祈祷なのである。吉田寺が群参を呼んだ頃は,日本が高齢化社会や低成長時代に突入する直前であり,女性が舅・姑の介護をすることが当然とされた時代だった。そんな中で吉田寺は老人や病者が自身のぽっくり往生を願うだけでなく,そうした女性達が介護からの解放を願うために参詣した寺院でもあったのである。ぽっくり寺流行神恵心僧都源信『恍惚の人』介護
著者
笹部 昌利
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
仏教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.8, pp.25-44, 2001-03

The theme of this paper is to analyze the contribution of Sanetomi Sanjo (三条実美) towards the growth of political awareness and its subsequent utilization in his political campaign. Sanetsumu Sanjo (三条実万), Sanetomi's father, and Oribe Tomita (富田織部), a feudatory of his family, were his mentors. His growing involvement with political issues led him to interfer with the personal affairs of the Imperial Court, and to request dispatching a "tyokushi" (勅使) delegation to the Tokugawa Shogunate in Bunkyu 2 (1862). In September of Bunkyu 2 (1862), Sanetomi himself was appointed as tyokushi. As a result of this important appointment, his influence gradualry increased and he secured himself the right to speak in the "tyougi" ( 朝議 ) administration meetings. Sanetomi's infuluence was further boosted when he led a special mission requesting "zyoui"(攘夷) to the Tokugawa Shogunate. His involvement led the Imperial court nobles and state daimyos (大名) to recorgnise. Sanetomi as a leader of the "zyoui" campaign. As a result, his authority in Kyoto was entrenched and deepened by the support of the "Choshu-han Mouri family", as they themselves had vested interest in Sanetomi's influence and "zyoui" campaign. In August of Bunkyu 3 (1863), the Mouri family was expelled from the government. As a result, Sanetomi also decided to settle with the Mouri family in Yamaguchi thereby showing symbolicially his identification with Mauri family struggle for political justice. After the Meiji Restoration, Mouri family was given recognition and political justice for their efforts in the "zyoui" campaign. As a result, Sanetomi's contribution was also acknowledge and he was emerged as a radical politician of modern Japan.
著者
中嶋 奈津子
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.35-46, 2018-03-25

本稿は南部藩領内に特有の権現信仰に基づいて行われる神楽「墓獅子」の実態と現状を明らかにするものである。そのため,「墓獅子」を現行している(或いは,以前行っていた)地域10か所の神楽の調査を実施した。南部藩領内では,獅子頭を神仏の化身として「権現様」と呼び,地域の守り神として信仰している。神社例大祭ではこの「権現様」を奉じて舞わせる。この祈祷の「権現舞」が一部の地域では死者の供養にかわる「墓獅子」として機能していたことがわかった。また,「墓獅子」は一定の形式があって,般若心経を唱え,加えて魔を払い清める「七つ踊り」を行うなどの特徴を確認した。1950年代まで盛んに行われていた「墓獅子」は時代の流れとともに,墓と供養の形態の変化や信仰心の薄れに伴って依頼も減り,わずかな依頼や沿岸地域での廻村巡業で維持できている状況であることが今回の調査で明らかになった。墓獅子権現信仰獅子頭の権現様死者供養墓獅子の唄
著者
宮澤 早紀
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 = Supplement to the bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
no.6, pp.87-94, 2018-03

本稿では,伊豆諸島にある八丈島と青ヶ島の巫者が行う死者の口寄せの事例を報告している。八丈島と青ヶ島ではミコと呼ばれる女性の巫者が,死者の口寄せを行う。これが「ナカヒト」や「ナカシト」と呼ばれた。当該地域には,ミコ以外に男性の巫者が存在する。男性の巫者と女性の巫者が共に巫業を行っていた点が,八丈島と青ヶ島の巫俗の特徴である。巫者は住民の依頼に応じて,病気治しや生業や航海安全などの祈祷,ナカヒトを行った。こうした巫業を通して,近年まで巫者が住民の生活にかかわってきた。八丈島と青ヶ島では近年まで巫者以外の宗教者が日常生活に関与することが少なく,巫者が宗教行為にたいして総合的な役割を果たしたと考えられる。こうした巫者の役割の 1 つとして,ナカヒトがあったと考えられる。巫俗巫女口寄せナカヒト
著者
山本 耕平
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.157-168, 2017-03-25

ひきこもりからの「脱却」と社会「適応」は,ひきこもりが長期になればなるほど,切実な要求になる。ひきこもる若者たちに再適応を強いる「力」は,彼らを統制・管理する。彼らと深くかかわってきた精神科医療は,彼/彼女らが,自身に向けられた差別と生きづらさから自己を解き放つ力となりえてきただろうか。ひきこもり支援は,ひきこもる若者を解き放ってきただろうか。 ひきこもり支援の現場は,ひきこもる若者が,支援者や家族,地域住民とともに,実践のあり方を共に考える主体として参加し,その参加のなかで,自身の尊厳を見出し,人や社会との関係を見出す支援や生活を相互行為として確認する場である。その場は,「今,なにをのぞみ,なにをすべきか」を発言し創りあげる場であり,淘汰された専門家により結成される揺るぎない場ではない。脱貧困の主体は,いまある矛盾する社会に再適応させるなかでは育たない。それは,課題「解決」を目指すものではない。
著者
八木 透
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.71-85, 2018-03-25

人間にとって死は何にもまして最大の恐怖であり,また残された者にとって,身内の死ほどやりきれない苦悩はない。さらに死後がまったく未知の世界であるがゆえに,人はさまざまな想像を働かせ,死に至る過程での恐怖を少しでも和らげるための手立てを講じてきた。本稿では死者はいかにして祀られてきたのか,また生者が死者をいかに扱い,生者と死者はどのように交渉したと信じられてきたのか,すなわち死者祭祀の実態と死者を祀る装置としての墓をめぐる伝承について。さらに死者の名を生者が継承する命名法について,具体的な事例に基づきながら考察する。葬送儀礼死者祭祀改葬墓制祖名継承
著者
加美 嘉史
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 = Supplement to the bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
no.5, pp.19-38, 2017-03

本稿では1990年代後半から2000年代の京都市におけるホームレス対策の展開過程を考察する。1990年代までの京都市は主に応急的・臨時的な法外援護事業による「住所不定者」対策を行っていたが,ホームレス自立支援法制定以降,国の財政的補助を背景に施策拡充を進めた。2000年代以降の市のホームレス対策は「就労自立」を柱に位置づけ,自立支援センターを軸に対策を推進された。しかし,就労の可能性を基準に対象者が選別されることで,支援からはじき出される層を生み出す一方,「就労自立」退所者の多くもワーキングプア状態での「自立」であった。他方,野宿生活者への生活保護適用は原則として施設入所・入院時に限定した運用を行ってきたが,2000年代以降,生活保護施設やシェルター等を経由する形で居宅保護が広げられた。居宅保護の適用拡大はホームレス者数の減少に寄与したと考えられる。今後の課題としてはワークファースト型支援から,ディーセントワークの実現など労働保障と地域生活定着のための居住保障を柱とするハウジングファースト型支援への転換が必要と考える。ホームレス対策ホームレス自立支援法生活保護就労自立人間発達
著者
井上 隆弘
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
仏教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.23, pp.1-14, 2016-03

広島県の比婆荒神神楽は、中世神楽の特徴である神がかり託宣の古儀を現代に伝える神楽である。その理解において今日でも大きな影響力をもっているのが牛尾三千夫の所説、すなわち荒神神楽は、死者の霊が「祖霊」たる本山荒神へ加入する儀礼であるとするものである。本稿では、そこで等閑視されている「小さき神」に焦点をあて神名帖や地域の小祭である地祭の検討を行い、牛尾の「祖霊神学」批判をとおして、牛尾に影響を与えている柳田民俗学の問題性にも言及した。荒神神楽祖霊加入説小さき神地祭祖霊神学
著者
加美 嘉史
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
no.5, pp.19-38, 2017-03-25

本稿では1990年代後半から2000年代の京都市におけるホームレス対策の展開過程を考察する。1990年代までの京都市は主に応急的・臨時的な法外援護事業による「住所不定者」対策を行っていたが,ホームレス自立支援法制定以降,国の財政的補助を背景に施策拡充を進めた。2000年代以降の市のホームレス対策は「就労自立」を柱に位置づけ,自立支援センターを軸に対策を推進された。しかし,就労の可能性を基準に対象者が選別されることで,支援からはじき出される層を生み出す一方,「就労自立」退所者の多くもワーキングプア状態での「自立」であった。他方,野宿生活者への生活保護適用は原則として施設入所・入院時に限定した運用を行ってきたが,2000年代以降,生活保護施設やシェルター等を経由する形で居宅保護が広げられた。居宅保護の適用拡大はホームレス者数の減少に寄与したと考えられる。今後の課題としてはワークファースト型支援から,ディーセントワークの実現など労働保障と地域生活定着のための居住保障を柱とするハウジングファースト型支援への転換が必要と考える。ホームレス対策ホームレス自立支援法生活保護就労自立人間発達
著者
山本 奈生
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
仏教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.17, pp.127-137, 2010-03

これまで,いわゆる「監視社会」論は,国内外の都市社会学や犯罪社会学に対して一定の影響を発揮してきた。「監視社会」をめぐる議論では,監視と安全,あるいは監視と自由といったテーマが取り上げられてきたが,しかしこれらの議論に対する社会学的評価は,未だ十分に定まっているとはいえず,「公共圏」や「パノプティコン」などの部分的なキーワードのみが比喩的に援用されてきたともいえる。本稿では,代表的な「監視社会論」の命題を整理したうえで,これに理論的検討を加えるが,ここで「監視社会」論の主たるテーマとされるのは次の三点である。.監視と権力性の問題,.監視とプライバシーの問題,.監視と「法維持的暴力」,あるいは公共圏との関係,が本稿で取り扱う問題圏であり,さらにこれらのテーマが内包する「監視社会論」の前提命題について検討を加える。そして結論として,.の命題が..の成立要件をなしていることが主張される。監視社会法維持的暴力公共圏
著者
田所 弘基
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
仏教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.24, pp.15-25, 2017-03

高村光太郎の「「道程」時代」の詩歌を検討することは、「「道程」以後」・「「猛獣篇」時代」の詩歌との繋がりを明らかにするうえで重要である。「「道程」時代の詩歌」には、頽廃的な雰囲気を漂わせる「デカダン性」を表現した詩歌が複数見受けられる。これまで、このような詩歌が創作された理由としては、特に、当時の光太郎の生活態度が頽廃的であったことが挙げられてきた。しかしながら、「「道程」時代」の詩歌と、同時期に発表されていた美術に関する評伝・評論の翻訳との関連を検討することで、光太郎の生活態度からではない別の理由が明らかになった。本稿では、特に、アルセーヌ・アレクサンドルのトゥルーズ・ロートレック評伝を光太郎が翻訳した「痛ましき地獄の画家」に着目し、「「道程」時代」の詩歌と比較した。その結果、風景や人物のモチーフとなる対象が類似する点を明らかにすることができた。そしてこれらのモチーフが描かれたのは、「露骨な本能の発表」という新しい風景描写の表現をするためであると考えられる。高村光太郎トゥルーズ・ロートレック道程痛ましき地獄の画家本能
著者
大貫 挙学
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 = Supplement to the bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
no.8, pp.119-123, 2021-03

本稿では,大学への「アクティブ・ラーニング」の導入が推し進められる社会状況を,新自由主義における主体化という観点から考察する。文部科学省や中教審の言説において,アクティブ・ラーニングは「社会」に役立つ「能動的」な「主体」の育成を志向している。これに対し,次の 2 点を指摘できる。第 1 に,「主体」であるとは権力に服従することである。第 2 に,ここでの「社会」は新自由主義という時代状況を前提としたものにほかならない。だとすれば,アクティブ・ラーニングは新自由主義体制に適合的な主体を形成するものといえる。そのうえで本稿が強調したいのは,第 1 と第 2 の論点が不可分であるということだ。学問の価値を守るためには,かかる社会状況への批判的視座が不可欠である。主体化新自由主義アクティブ・ラーニング
著者
井上 隆弘
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.17-34, 2018-03-25

山口県山代地方で執行される神楽は,分布する地域から山代神楽とも,祭儀形態から山鎮神楽ともいわれるが,「天大将軍」の神がかりおよび「山鎮」という特異な祭儀によって特徴づけられる。この神楽は中国地方に分布する荒神神楽の系譜を引くものであるが,ミサキと呼ばれる祟る死霊が強く結びついている。こうした死霊祭祀は「山鎮」などと呼ばれ,藁蛇と鎮め物を入れた俵を神木に巻き付けて鎮める祭儀として古くから行われてきた。それが天大将軍の舞と結びついたのが今日の山鎮神楽である。先行研究によれば,この地方の神楽は幕末以降に安芸十二神祇の舞がもたらされ天大将軍の舞が大きな変化をとげたとされるが,本稿では,この天大将軍の性格の変化の諸相について明らかにした。こうした死霊祭祀としての性格は,この地方の過酷な歴史を反映したものであった。天大将軍山鎮年祭ミサキ荒神神楽
著者
斎藤 英喜
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-15, 2018-03-25

岩田勝によって切り開かれた「浄土神楽」の研究は,従来の現世利益,神事芸能としての神楽認識を大きく塗り替える意義をもった。そこに現出したのは「浄土神楽」の世界である。しかし奥三河の「浄土入り」,物部いざなぎ流の「ミコ神」の神楽の現場からは,死者霊の鎮魂,浄化という認識とは異なる,神霊,死霊の成長,進化という「行」としての神楽の様相が見えてくる。その問題は「鎮魂」をめぐる折口信夫の解釈の再検証を迫るものとして,古代から中世,近世にいたる「鎮魂」の解釈史を読み直した。浄土神楽鎮魂浄土入りミコ神神楽折口信夫
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.27, pp.17-26, 2020-03-25

相模国の古義真言宗寺院の大山寺には、一五三二(享禄五)年の仮名本『大山寺縁起絵巻』と一六三七(寛永十四)年の真名本『大山縁起』の他に一七九二(寛政四)年『大山不動霊験記』が存在する。後者は全15巻に及ぶ大部の霊験記である。この霊験の内容に関して圭室文雄・川島敏郎氏らの先行研究で解明されてきたが、霊験主に焦点を当てた分析は行われておらず、本論はこの視点から検討する。不動明王石尊権現複合霊験主不動剣と木太刀
著者
中嶋 奈津子
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 = Bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.26, pp.123-132, 2019-03

岩手県八幡平市平舘の岩手山神社山伏神楽(旧名:三阿弥陀神楽)は修験系神楽の一つであがんしゅうざんり,岩手山(奥羽山脈北部県内最高峰2038m 旧名巌鷲山)の山霊を祀る岩手山神社に伝わる神楽である。この神楽については江戸時代から続くとうたわれているが,「修験大蔵院がはじめた神楽」という以外に情報が少なく,これまで誰の手によってどのように存続してきたのか,その経過については把握されていない。今回この神楽の聞き取りおよび文献調査を通して,盛岡藩領内における修験系神楽の近代以降の変遷(修験の神楽から庶民の神楽へと変遷してゆく過程)についての一つの事例としてその詳細を明らかにすることができた。さらに現代において,神楽の存続のために隣接地域同士での「神楽の譲渡」が行われるなど,貴重な事例であることが明らかになった。修験系神楽獅子頭祈祷者と舞人担い手の変遷神楽の譲渡
著者
白石 克己
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所共同研究成果報告論文集 (ISSN:21896607)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-12, 2016-03-25

書簡の交流を基礎とする鈴屋の遠隔教育では文字コミュニケーションが重要な意味をもっていた。もちろん宣長の遊学時代も鈴屋での門人指導も,対面教育での口頭コミュニケーションが欠かせなかった。しかし,宣長はおびただしい書写や熱心な公刊活動などによって文字コミュニケーション主体の遠隔教育や対面教育を実施していた。言語は経験から遊離した抽象との批判から会読のような対面教育が推奨されるけれども,言語と経験との往復運動を図る指導であれば,文字コミュニケーションは遠隔教育にも対面教育にも欠かせない。宣長は書簡の交流によって門人一人ひとりへの添削指導を実施したが,これは相手の「情報構造」に従った指導といえる。会読講釈問答体遠隔座文字コミュニケーション
著者
田所 弘基
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.24, pp.15-25, 2017-03-25

高村光太郎の「「道程」時代」の詩歌を検討することは、「「道程」以後」・「「猛獣篇」時代」の詩歌との繋がりを明らかにするうえで重要である。「「道程」時代の詩歌」には、頽廃的な雰囲気を漂わせる「デカダン性」を表現した詩歌が複数見受けられる。これまで、このような詩歌が創作された理由としては、特に、当時の光太郎の生活態度が頽廃的であったことが挙げられてきた。しかしながら、「「道程」時代」の詩歌と、同時期に発表されていた美術に関する評伝・評論の翻訳との関連を検討することで、光太郎の生活態度からではない別の理由が明らかになった。本稿では、特に、アルセーヌ・アレクサンドルのトゥルーズ・ロートレック評伝を光太郎が翻訳した「痛ましき地獄の画家」に着目し、「「道程」時代」の詩歌と比較した。その結果、風景や人物のモチーフとなる対象が類似する点を明らかにすることができた。そしてこれらのモチーフが描かれたのは、「露骨な本能の発表」という新しい風景描写の表現をするためであると考えられる。高村光太郎トゥルーズ・ロートレック道程痛ましき地獄の画家本能