著者
飯田 隆夫
出版者
日本演劇学会
雑誌
演劇学論集 日本演劇学会紀要 (ISSN:13482815)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.1-16, 2023-06-15 (Released:2023-07-01)

Since the middle of the Edo Period, several long, wooden swords had been dedicated to the Sagami-Ohyama Sacred Place (the Temple & Shrine), located in the sacred mountain of Ohyama. It is believed that this custom was based on the historical facts written in Azuma Kagami, according to which Hojo Masako devoted the guarding sword when she gave birth to a boy. Other versions believe that the custom began as a samurai prayer for their martial arts, which was later imitated by people using wooden swords. However, disputing these popular explanations, this thesis attempts to prove that Ichikawa Danjūrō I was the key person who developed this custom. In 1690 (Genroku, 3rd year), he promised to offer long, wooden swords to Acala (Fudo Myoo) of Ohyama in gratitude for his advanced acting techniques if he could perform the role of Edo kabuki, a character with a superior sword with supernatural powers derived from the Acala. In fact, a craftsman of Nakabashi-okemachi had first attributed a long, wooden sword to the Ohyama Afuri Shrine in proxy of Danjūrō.
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.27, pp.17-26, 2020-03-25

相模国の古義真言宗寺院の大山寺には、一五三二(享禄五)年の仮名本『大山寺縁起絵巻』と一六三七(寛永十四)年の真名本『大山縁起』の他に一七九二(寛政四)年『大山不動霊験記』が存在する。後者は全15巻に及ぶ大部の霊験記である。この霊験の内容に関して圭室文雄・川島敏郎氏らの先行研究で解明されてきたが、霊験主に焦点を当てた分析は行われておらず、本論はこの視点から検討する。不動明王石尊権現複合霊験主不動剣と木太刀
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学
巻号頁・発行日
2017

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著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 = The Bukkyo University Graduate School review. 佛教大学学術委員会, 文学部編集委員会 編 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.41, pp.53-70, 2013-03

明治六年七月、権田直助は相模大山阿夫利神社の祠官としたが、神仏分離後の混乱した山内の改革を幾つか行ったが、そのうちの一つが奈良春日大社に伝わる倭舞・巫女舞を富田光美から伝習することであった。その伝習当時の倭舞歌譜が伝存されているが先行研究者はその歌譜と奥書に注目した。富田光美の家系は途絶していてこの歌譜の原本の存在は不明である。明治元年以降、春日社社伝の倭舞・巫女舞は富田光美夫妻によって全国に伝習されたが、先行研究と大山阿夫利神社・金刀比羅宮・春日社の歌譜を比較検討によって大山阿夫利神社の歌譜が原本に近いとの推定が可能である。富田光美は幕末期から明治維新の転換期に神社国家神道化の下、神社に奉納される神楽は富田家が相伝してきた倭舞・巫女舞が古儀に倣う最も相応しいものとして、白川家関東執役古川躬行や明治政府の後ろ盾で全国著名神社に伝習した。その伝習内容と背景を相模大山と関連させ論考をはかる。倭舞歌譜富田光美巫女舞東幸と雅楽制度芸能統制
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.44, pp.35-52, 2016-03-01

論考の目的本稿は、相模国の山岳寺院大山寺の支配にあった御師が、神仏分離直前、国学平田家および神祇伯白川家の関東執役古川将作とどのような関係をもち、行動を選択していたのかを安政六(一八六九)年から慶應三(一八六七)年を対象に考察することをねらいとする。研究の方法分析ツールとして、白川家「門人帳」・平田家「門人帳」と大山寺宮大工、大山寺、平田家等に残された日記類を使用する。分析の結果相模国大山寺は幕府の庇護を受け、文化・文政期、大山信仰は最盛期を迎えた。その信仰を牽引した大山御師は大山寺の強い支配下にあったが、幕末期これら御師の中に不満が蓄積され、慶応三年にはその力関係を逆転させた。本論は、以下のキーワードをもとにその検証を試みるものである。白川家教線拡大復古派国学の波及白川家・平田家重複入門相模大山の安政大火御師の身分的転換
著者
飯田 隆夫
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 = Bulletin of the Research Institute of Bukkyo University (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.26, pp.1-18, 2019-03

実乗は、相模大山寺別当に一八六八年三月着任直後、総督府より大山寺の立退きの宣告を受け、直後立退と本尊の山外移転を決めた。大山麓民は即時にこのことに反対し、本尊を山内に留めた。一八七六(明治九)年、俄かに本尊を納める不動堂再建の動きが起こり、麓村民・明王寺他子院・大工棟梁景元の三者で再建協議を開始した。村民は再建資金を旧御師持の檀那場から寺僧が調達するなど三者の個人的活動に依拠していたためこの協議には限界があった。一八八三(明治一六)年三月、新たに山口左七郎はじめ麓村の豪農・篤農や有力者を筆頭に、新築・庶務・寄付・出納の四係で構成された再建協会が組織化され、一八八五(明治一八)年一一月に不動堂が完成した。三者間の協議は、資金調達が最も難題であったが、麓村の豪農・篤農や参詣道の重立、有力者の結束により、慶應四年閏四月に廃寺通告された大山寺は、明治一八年一一月、僅か二〇年後に不動堂として再興された廃寺復興の稀な例である。別当実乗麓村民再建資金豪農・篤農大工棟梁