著者
並松 信久
出版者
京都産業大学日本文化研究所
雑誌
京都産業大学日本文化研究所紀要 = THE BULLETIN OF THE INSTITUTE OF JAPANESE CULTURE KYOTO SANGYO UNIVERSITY (ISSN:13417207)
巻号頁・発行日
no.24, pp.117-163, 2019-03-25

柳田国男(1875-1962)の民俗学は、著書『海南小記』(1925年刊)をきっかけのひとつとして、最晩年の著書『海上の道』(1961年刊)で終わる。この二つの著書は、いずれも沖縄文化を対象にしていた。さらにこれらの著書の刊行は、第二次世界大戦をはさんでいるので、二つの比較によって柳田の沖縄観や民俗学の変容を明らかにできると考えられる。柳田と沖縄に関する先行研究は数多くあるが、二つの著書の比較、沖縄に関する情報蒐集や研究交流などに言及した研究はほとんどない。 本稿は、柳田が沖縄に関心をもった経緯、沖縄をはじめとする南島研究の展開、研究者の交流、戦後の「日本」と沖縄を意識した柳田の論考、について考察した。『海南小記』の問題意識の多くが『海上の道』に受け継がれたが、その中心を占めるのは「日本民族起源説」をめぐるものであった。しかし、伊波普猷(1876-1947)をはじめとして多くの研究者が唱える南進説に対して、柳田は北進説を貫いた。この問題は現在でも決着をみていない。 『海上の道』では、実証を旨とする柳田には珍しく、多くの仮説を述べている。例証や事実だけを述べる『海南小記』とまったく異なっていたといえる。柳田は「海上の道」研究を民俗学の成果とは位置づけなかった。柳田は、あえてそれまでの民俗学の手法をとらずに、断定的な仮説を述べることによって、他の多くの隣接科学を巻き込んだ南島研究の発展を願ったようである。1 はじめに2 沖縄文化への関心3 南島と研究交流4 沖縄民俗と日本5 結びにかえて

言及状況

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