著者
寺田 麻佑
出版者
国際基督教大学
雑誌
社会科学ジャーナル = The Journal of Social Science (ISSN:04542134)
巻号頁・発行日
no.86, pp.89-109, 2019-03-31

本稿は、従わなければならないのは人である統治者の決める法なのか、古来、慣習として信じられ、存在が認められてきた、神々の法としての法なのかという問題について、アンチゴーヌをどのように読み解くのかという問題から、神の法・人の法について考察をおこなうものである。 アンチゴーヌは、神々の掟(法)に基づき、国王が定めた国(人)の法に抵抗した。これは、国という権力、国王という権力に対抗した、ということができるかもしれない。 アンチゴーヌはこう語る。「法がどこからくるか、知っている人はいない。法は永久に続くもの。」 古代や中世との比較において現代社会の法をみるとき、その特色は、個人の尊厳と個人の尊重を中核とし、基本的人権の制度的保障体系が憲法や法律のなかに確立され、整備されていることだということである。 しかし、法は、だれが、どのように作ることができるのかということに関する答えはない。法律の内容は(とくに間接民主制を採用する社会においては)議会の「公開の」審議を通して討議されて確定されるべきであるが、現実の法制定過程をみてみると、審議は行われず、あらかじめ定められた、もしくは予定された通りに国会を通過していくものも多い。 また、法が社会状況に追いつかない問題も常に生じる。法と社会のずれの問題は、どの社会においても起こるが、日本においてもそうである。このような法と社会のずれの問題は、何を「法」と考えるのかという問題とつながっている。 そこで、本稿は、アンチゴーヌを主題としてそこから現れる神の法・人の法の相違について検討を加えたうえで、現代社会の法と社会、人の法と神の法の問題をアンチゴーヌがどのように解釈しているのかということを通して考察を行う。

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