著者
村木 桂子 ムラキ ケイコ Muraki Keiko
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.16, pp.17-42, 2019-03

研究論文(Article)このほど、京都の北野天満宮(北野社)を描いた屏風が新たに見出された。本論で取り上げる二曲屏風の《北野社頭図屏風》(個人蔵、以下新出本と称す)がそれで、北野社の結構のみならず、門外で喧嘩沙汰に及ぶ人物や、南蛮風の胴服を着用する人物を描く点が目を引く。このような描写内容などから、本図が十六世紀中頃から十七世紀にかけて成立した「近世初期風俗画」と呼ばれる作品群の一例であることは明らかである。しかし、近世初期風俗画の歴史それ自体が極めて複雑な様相を呈しており、本図がどのような位相・系譜に属するものであるかは、容易に見極めがたい。そこで、本論では、新出本に描かれた地理的状況、点景人物の姿態や着衣の描写に注目して、いつ頃の景観を描いているのかを考察することを通じて、本図が近世初期風俗画の歴史の中でどのように位置づけられるのかを明らかにすることを目的とする。そのため、まず新出本の概要について述べ、つぎに北野社を描く絵画には三つの系譜があることを確認する。そのうえで、その中の一つ風俗図の系譜をさらに「洛中洛外図」系、「名所風俗図」系に分け、それぞれ二作品(合計四作品)を選んで、北野社の建物の配置および歌舞伎小屋の様子を比較分析する。その結果、新出本は、慶長十二(1607)年の社殿再建以降の景観を描いており、北野社頭で遊楽に興じる人々を描いた一連の北野社頭図ともいうべきジャンルに該当することから、この新出本も当初は六曲一隻であった可能性に言及する。さらに、喧嘩沙汰の人物の姿態や着衣を分析した結果、新出本の景観年代は、元和元(1615)年のかぶき者の風俗取り締まりを上限とし、寛永(1624~43)前半ごろを下限とすることを指摘する。おわりに、以上のことを踏まえて、本図は、かぶき者を画中に描き込んで過ぎ去った戦乱の世への追憶を感じさせることによって、伊達を称揚する人々に向けて描かれた風俗画であった可能性を指摘する。巻末ページの執筆者「村木 桂子」の表記に誤りあり (誤)「日本語・日本文化教育センター 嘱託講師」→(正)「グローバル・コミュニケーション学部 嘱託講師」

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村木 桂子 -  新出《北野社頭図屏風》(個人蔵)の近世初期風俗画史における位置づけについて : かぶき者を手がかりに https://t.co/tVbQeA8Cxe

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