著者
平 弥悠紀 Miyuki Hira
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.17, pp.19-37, 2020-03

漫画には多くのオノマトペが見られるが、本稿では、「動き」を視点として、オノマトペを取り上げ、中でも「歩く・走る」動きについて、擬音語、擬態語がどのような役割を果たしているのかについて考察した。擬音語・擬態語の辞書によると、人間の全身の「動き」の中で、「歩く」動作に関するオノマトペが最も多く見られる。一方で、「走る」に関するオノマトペは少数である。本稿で資料とした森本梢子著『研修医 なな子』(全7巻、1995-2000年、集英社)では、「歩く」動作そのものを表現する場合、「歩く」に関するオノマトペではなく、擬音語が多く用いられている。特に「走る」に関しては、擬音語を活用して、「走る」動作を表現していると考えられる。絵にオノマトペを添えて、絵では表現しきれない内容を補うばかりでなく、絵はなくても、オノマトペだけで十分「動き」を読み取ることができる場合もある。このような「動き」を表現するオノマトペは、単に「動きの効果を高めるため」の「効果音」というよりも、「動き」そのものを表現するツールになっていると考えられる。そして、「音や動きのない時間を造り出す」促音によって、動きの遅速を表現したり、リズムに変化を与えたり、オノマトペの様々な語形によって、動きの違いを表現し分ける。また、「歩く」カテゴリーのオノマトペは、歩く動作そのものよりも、身体機能に影響されたり、健康状態や心理状態を反映した歩き方を表現していた。
著者
和田 充弘 Mitsuhiro Wada
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-20, 2021-03

享保期においては、吉宗の教化政策だけでなく、民間でも生活防衛の観点から教化活動が行われ、石田梅岩の『都鄙問答』『倹約斉家論』や佚斎樗山の『田舎荘子』といった教訓書が作られた。そのうち『田舎荘子』は談義本の初期の段階に位置づけられ、これに類似する作品がその後数多く登場した。こうした系譜に属するのが、大坂の町人学者であると思われる田中友水子である。友水子の作品の一つに、寛保二年(一七四二)頃の成立が推定できる『世間銭神論』がある。本書は中国西晋の『銭神論』の存在を念頭に置き、金銭というきわめて現実的な話題をテーマに掲げている点で、特異な性格を有している。その内容をみてゆくと、梅岩からは儒教的な仁愛の社会的な実現と利得を追求する過程との両立が、樗山からは老荘的な天地の造化に従う生き方が引き継がれるが、両者が異なる形で重視した強固な心の自覚が欠けている。『銭神論』が銭の万能を説きながら、拝金主義の世相と共に金銭の存在を否定的に捉えていた点もみられない。金銭の流通と仁愛との一致を大きな柱とした上で、倹約、勤勉といった道徳、それに知恵や才覚を用いながら、人々が自力で生活を維持しさらに向上させてゆく可能性を説くところに『世間銭神論』の特徴が見いだせる。またその内容は『商売往来』と共通するところも多く、そうしたことが庶民教育と戯作文学や町人文化との間における、接点の所在を示唆しているのではないか。研究論文(Article)
著者
村木 桂子 ムラキ ケイコ Muraki Keiko
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.16, pp.17-42, 2019-03

研究論文(Article)このほど、京都の北野天満宮(北野社)を描いた屏風が新たに見出された。本論で取り上げる二曲屏風の《北野社頭図屏風》(個人蔵、以下新出本と称す)がそれで、北野社の結構のみならず、門外で喧嘩沙汰に及ぶ人物や、南蛮風の胴服を着用する人物を描く点が目を引く。このような描写内容などから、本図が十六世紀中頃から十七世紀にかけて成立した「近世初期風俗画」と呼ばれる作品群の一例であることは明らかである。しかし、近世初期風俗画の歴史それ自体が極めて複雑な様相を呈しており、本図がどのような位相・系譜に属するものであるかは、容易に見極めがたい。そこで、本論では、新出本に描かれた地理的状況、点景人物の姿態や着衣の描写に注目して、いつ頃の景観を描いているのかを考察することを通じて、本図が近世初期風俗画の歴史の中でどのように位置づけられるのかを明らかにすることを目的とする。そのため、まず新出本の概要について述べ、つぎに北野社を描く絵画には三つの系譜があることを確認する。そのうえで、その中の一つ風俗図の系譜をさらに「洛中洛外図」系、「名所風俗図」系に分け、それぞれ二作品(合計四作品)を選んで、北野社の建物の配置および歌舞伎小屋の様子を比較分析する。その結果、新出本は、慶長十二(1607)年の社殿再建以降の景観を描いており、北野社頭で遊楽に興じる人々を描いた一連の北野社頭図ともいうべきジャンルに該当することから、この新出本も当初は六曲一隻であった可能性に言及する。さらに、喧嘩沙汰の人物の姿態や着衣を分析した結果、新出本の景観年代は、元和元(1615)年のかぶき者の風俗取り締まりを上限とし、寛永(1624~43)前半ごろを下限とすることを指摘する。おわりに、以上のことを踏まえて、本図は、かぶき者を画中に描き込んで過ぎ去った戦乱の世への追憶を感じさせることによって、伊達を称揚する人々に向けて描かれた風俗画であった可能性を指摘する。巻末ページの執筆者「村木 桂子」の表記に誤りあり (誤)「日本語・日本文化教育センター 嘱託講師」→(正)「グローバル・コミュニケーション学部 嘱託講師」
著者
大山 理惠 Rie Oyama Rie Ooyama
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.15, pp.93-105, 2017-03

本稿は、アクセント句に注目したプロソディー中心の音声指導が効果的であるかどうかを検討することが目的である。大山(2016)では、1クラスの指導前後のテスト結果の変化により、指導効果の有無を考察した。今回は、さらに検証を深めるために、日本語の授業2クラスを、実験群(音声指導あり+説明)、統制群(指導も説明もなし)に分け、実験を行った。対象は、日本語の中・上級クラスの学生26名である。1コマの授業の中の一部を音声指導に充てた。指導効果を明らかにするため、①アクセント(正しいアクセントを解答)②アクセント句の知識とリスニング③イントネーション(文末が上昇か下降かを解答)④アクセント核記入(複合語)の4種類のテストを行い、事後テストと事前テストの結果を統計分析し検証・考察した。この結果、実験群と統制群の間に有意差が見られた。このことにより、アクセント句を中心にプロソディー指導を行うことが、より効果的な発音習得を導く一助になる可能性があることが分かった。
著者
仲渡 理恵子 Rieko Nakato
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.18, pp.29-49, 2021-03

副詞「少なくとも」は、「せめて」と関連づけられることが多いが、「せめて」が様々な視点から研究されているのに比べ、「少なくとも」は用法などが明らかにされているとは言いがたい。本稿は、日本語書き言葉コーパスから、「少なくとも」の意味と用法を「せめて」と対照し、分析、考察したものである。その結果、「少なくとも」は、主に文中に配置され、名詞が後接し、人や時間についての言及や、数量を伴って用いられることが多いとわかった。「せめて」は「最大限」をも表すことがある場合が「少なくとも」とは異なり、「少なくとも」は、あくまで主観的に話者が最小だと思う数の表現や、最低だと考える範囲の見積りで留まっている点で、「せめて」のような幅を持たないことが判明したが、「少なくとも」は、「せめて」より多くの構文的展開が可能であった。「過去」「否定」「推量」「様態」「帰結」「名詞」「範囲」「必要性」「一般条件」は「少なくとも」のみで使われており、限定を示すとり立て助詞や、比較を意味する助詞が含まれる文も目立った。構文的展開に見られた「思う」は、「少なくとも」の意味が、主観的に話者が見積る最小量、最低限であるという点から、意志や断定に近い意味で「少なくとも」の文末に使われやすいという傾向も判明し、「少なくとも」は「少なくとも話者はM(=minimum:最小量や最低限の範囲の主観的な見積り)と思う」とモデル化することができた。
著者
梶原 雄 Yu Kajiwara
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.17, pp.93-111, 2020-03

2008年に日本政府が発表した「留学生30万人計画」によって外国人留学生の来日が急増し、日本全国の多くの大学ではキャンパス内の国際化が一層進み、日本人学生と外国人学生との交流の機会も増加した。しかし、交流の機会が増えたとは言え、日本人学生と外国人留学生との間で十分な交流が行われていると一概には言えない。「学校内で日本人学生と交流できなかった」と悩みや不満を訴える外国人留学生は少なくない。そこで本稿では、キャンパス内での双方向的な交流の可能性を探るために、受け入れ側の日本人学生の視点から、キャンパス内の外国人留学生をどのように見ているかについてアンケート調査を実施した。その結果、回答者である日本人学生は、外国人留学生の留学生活や学習意欲、日本語能力等を高く評価していた。また、外国人留学生との交流は自身のキャリアデザインに有益なものであると考え、外国人留学生との交流を希望していた。しかし、「言葉の壁」や「コミュニケーション」、「文化の違い」、「話題」等の不安や心配から、外国人留学生と友達になるために自分から積極的に活動を行っている人は少ないことが明らかになった。
著者
李 長波 Choha Ri
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.13, pp.71-96, 2015-03

本稿は、上代歌謡と万葉集の「見ユ」の用例の分析を通して、一、「見ユ」と一人称との関連、二、上代語における「動詞・助動詞終止形+見ユ」の形式と「見ユ」の意味、三、「見ユ」の活用形の展開と助動詞への接続の文法史的な意味を考察した。主な結論は、以下のとおりである。一、佐竹昭広(1975)が指摘した「上代人の自己中心係数」は、上代歌謡と前期万葉において特に顕著なものであり、万葉集の中でも、万葉第三期、第四期と時期が降るにつれてすでに次第に低下していく傾向が見られた。これは文体史的な問題とともに文法史的な問題であると考えられる。二、上代語における「動詞・助動詞終止形+見ユ」の形式は特に上代歌謡に顕著な特徴であるが、万葉集を第一期、第二期、第三期、第四期に分けてみた場合、その用例が次第に減少していくのに平行して、「見ユ」の活用形、特に連用形を中心に助詞・助動詞が下接する用法が増えていく傾向が見られた。上代語の「見ユ」は視覚的にものが存在する意、すなわち「現前の視覚事実=事態」を表す動詞であり、その終止形終止法は現在を表すものと考えられる。三、「見ユ」連用形に下接する助動詞のうち、いわゆる「過去」の助動詞では「キ」が、いわゆる完了の助動詞では「ツ」が先行し、「ケリ」と「ヌ」はいずれも第四期において初めて用いられ、これは上代語の資料を一つの共時態として見るよりは、上代歌謡→前期万葉(万葉第一期、第二期)→後期万葉(万葉第三期、第四期)に分けて考えたほうが文体史的にも文法史的にも有効であり、「キ・ケリ」、「ツ・ヌ」の意味機能を考える上で示唆を与えると考えられる。「見ユ」連用形に下接する動詞、助動詞に見る空間的・時間的な「近vs. 非近」は話者への空間的、心理的な関係性として、上代語の人称体系、「一人称vs. 非一人称」との相関を窺わせる。
著者
和田 充弘 Mitsuhiro Wada
出版者
同志社大学日本語・日本文化教育センター
雑誌
同志社大学日本語・日本文化研究 = Bulletin of Center for Japanese Language and Culture (ISSN:21868816)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-20, 2021-03

享保期においては、吉宗の教化政策だけでなく、民間でも生活防衛の観点から教化活動が行われ、石田梅岩の『都鄙問答』『倹約斉家論』や佚斎樗山の『田舎荘子』といった教訓書が作られた。そのうち『田舎荘子』は談義本の初期の段階に位置づけられ、これに類似する作品がその後数多く登場した。こうした系譜に属するのが、大坂の町人学者であると思われる田中友水子である。友水子の作品の一つに、寛保二年(一七四二)頃の成立が推定できる『世間銭神論』がある。本書は中国西晋の『銭神論』の存在を念頭に置き、金銭というきわめて現実的な話題をテーマに掲げている点で、特異な性格を有している。その内容をみてゆくと、梅岩からは儒教的な仁愛の社会的な実現と利得を追求する過程との両立が、樗山からは老荘的な天地の造化に従う生き方が引き継がれるが、両者が異なる形で重視した強固な心の自覚が欠けている。『銭神論』が銭の万能を説きながら、拝金主義の世相と共に金銭の存在を否定的に捉えていた点もみられない。金銭の流通と仁愛との一致を大きな柱とした上で、倹約、勤勉といった道徳、それに知恵や才覚を用いながら、人々が自力で生活を維持しさらに向上させてゆく可能性を説くところに『世間銭神論』の特徴が見いだせる。またその内容は『商売往来』と共通するところも多く、そうしたことが庶民教育と戯作文学や町人文化との間における、接点の所在を示唆しているのではないか。