著者
福田 千鶴
出版者
九州大学基幹教育院
雑誌
鷹・鷹場・環境研究 = The journal of hawks, hawking grounds, and environment studies (ISSN:24328502)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.79-98, 2019-03

本研究では、16世紀後半の東アジアにおける日本の鷹狩文化の特質を解明する。日本では古代以来、鷹狩が行われたが、16世紀に大きく変容する。すなわち、鶴取の鷹が珍重され、以後は鶴取が日本の鷹狩として伝統化していくことになる。その大きな画期となるのが豊臣政権期であり、これはひとと自然との関係を大きく変えていくことにもなった。第1章では豊臣秀吉の嗜好が、はじめは茶の湯にあったことを示し、第2章では日本全国統一の過程で鷹を掌握するルートを確立し、朝鮮鷹をも入手するようになったことを位置づける。第3章では実際に秀吉が鷹狩を開始すると、鶴取の大鷹が求められたこと、また秀吉が1591年11月から12月にかけて実施した大鷹狩は、東海から畿内にかけての地域の生態系に甚大なダメージを与えたことを明らかにする。これを前提に、第4章では、諸国鉄砲打払令が全国に発令され、豊臣家鷹場の回復および維持が図られた因果関係を解明する。最後に、従来の研究ではほとんど検討されてこなかった鷹狩文化の諸相を解明した本研究の成果に基づき、今後は豊臣政権期における鷹狩文化の変容が、社会文化、政治、環境に与えた影響を踏まえ、歴史像を再構築する必要を提起したい。

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"実際に秀吉が鷹狩を開始すると、鶴取の大鷹が求められたこと、また秀吉が1591年11月から12月にかけて実施した大鷹狩は、東海から畿内にかけての地域の生態系に甚大なダメージを与えたことを明らかにする" →環境破壊

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