著者
高久 嶺之介 Reinosuke Takaku
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 = The social sciences (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.101-129, 2019-08

本稿は,第三代京都府知事北垣国道(幼名晋太郎)が幕末にかかわった文久3年(1863)10月の生野の変でどのように行動をしたのかをあらためて検証しようとするものである。もちろん生野の変の北垣の行動は不明な点がある。しかし、明治期の彼の回想録など諸史料と当時の彼の行動を分析すれば,迷いがあったとしても決起中止の流れに身を置いていたことは間違いない。さらに北垣の生家跡にある祠の「祭神」をみれば,彼が生野の変においてどういう人びとに依拠しようとしていたかが判明する。研究ノート(Note)

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明治27年6月2日、森寛斎が死去。長州藩出身の日本画家。高久嶺之介「北垣晋太郎の幕末」(『社会科学』49-2)は、北垣国道が生野の変に参加した後、「長州に潜伏し,奇兵隊に幕府の間諜と怪しまれ,処刑されんとした時」、森に救われた逸話と、その後の両者の交流を分析。 https://t.co/cdxiZu27Os

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