著者
彭 澤周
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.452-471, 1960-05-01

一八八二年のいわゆる壬午の乱后、伊藤博文と井上馨との対韓方針は、必ずしも一致していなかつた。清国の哀世凱らは、朝鮮の事大党と結び、宗主関係をさらに増強したので、もし明治政府が積極的な対韓政策を進めれば、日清両国の衝突を招く恐れがあつた。そこで、外務卿井上は、朝鮮の独立問題に対して静観態度を持していた。ところが一八八四年、清仏両国は安南問題の失敗から、戦争状態に入つた。しかし、李鴻章は、フランスに対して妥協政策を主張したので、清国の軍事力は弱体化を免れなかつた。この戦争は李朝政府を不安な状態に陥し入れた。消極政策を考えていた井上は、ここに一転して伊藤らと共に金玉均らの独立党を援助して甲申変乱を惹起した。明治政府が、一方で、資本主義フランスに協力して日本の国際地位を向上せしめながら、同時に朝鮮の独立をはかつたことは、一挙両得の外交方針であつたといえる。

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