- 著者
-
根津 朝彦
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.216, pp.121-152, 2019-03
本稿は,『毎日新聞』の社会部記者であった内藤国夫(1937~1999年)を中心に,東大闘争の専従記者が「1968年」報道にいかに携わったのかを明らかにする。第1節では,運動学生の行動動機を顧みずに,かれらを「暴徒」と見なす全般的な報道の特徴を検討した。それをよく示すものが『山陽新聞』の改ざん事件と,内藤国夫が取材した王子デモ報道であった。この背景には,学生運動の「暴徒」観を根強く抱く編集幹部の存在が挙げられる。第2節では,大学担当記者になった内藤国夫が東大専従記者となり,大河内一男総長の辞意報道に及ぼした影響や,各社が集った東大記者クラブと取材班の陣容を整理した。第3節では,内藤の日頃の取材先を押さえた上で,東大専従記者と運動学生の緊張関係が高まった読売新聞記者「暴行」事件に焦点をあてた。この事件を契機に学生の新聞不信が激化したことと,内藤の学生のために取材をしているという「君らのため」観との間に乖離があることを示した。第4節では,安田講堂の攻防で時計台放送が投げかけた,記者たちにとって東大闘争と報道とは一体何であったのかという,内藤を含めた記者たちの主体性を突きつける問題を考察した。それとともに警察側のデモ現場での巧妙な潜入や学生対策の実態について言及した。内藤は,東京大学法学部の卒業生という利点をいかし,取材源に食い込み,多くのスクープをものにした。しかし,その取材現場では学生の「暴徒」観に象徴されるように,事実に向き合おうとする記者と報道機関の姿勢も問われていた。そして多様な事実を報じる回路を制約したのが,現場記者と編集幹部の認識の差であった。記事決定の裁量権をもつデスクや編集幹部の力関係の構造の下,「1968年」報道も多面的な現実を読者に報じる役割が妨げられていたのである。最後に東大闘争と学生運動における暴力の問題についても見通しを提示した。