著者
根津 朝彦
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.163, pp.63-89, 2011-03-31

荒瀬豊(1930年生まれ)の思想をジャーナリズム概念とジャーナリズム史の観点から考察する。そこにはジャーナリズム・ジャーナリズム史を研究する意味はどこにあるのかという問いが含まれる。本研究は,初めてジャーナリズム史研究者である荒瀬豊の思想に焦点をあてたものである。具体的には荒瀬の思想形成,ジャーナリズム論,ジャーナリズム批判を通して検討する。「❶思想形成」では,荒瀬が東京大学新聞研究所において研究者生活を過ごす前史にあたる学生時代と新潟支局の朝日新聞記者時代に彼が「現実と学問をつなぐ」意識をいかに培ってきたのかをたどる。新潟の民謡を論じた「おけさ哲学」の分析とともに荒瀬の問題意識の所在を位置づけた。「❷ジャーナリズム論」では,主に戸坂潤と林香里のジャーナリズム論を参照しながら,荒瀬がジャーナリズムを単にマス・メディアの下位概念として理解するのではなく,両者にある緊張関係を考察したことを重視した。荒瀬がとらえたジャーナリズム概念とは,現実の状況に批判的に向き合う思想性を意味し,ジャーナリズムに固有の批評的役割を掘り下げたことを明らかにした。「❸ジャーナリズム批判」では,荒瀬の歴史上におけるジャーナリズム批判を具体的に検討した。米騒動において「解放のための運動」と新聞人の求める「言論の自由」が切り離さる過程を荒瀬は読み込み,新聞の戦争責任と絡めて「一貫性ある言論の放棄」を見出した。荒瀬の敗戦直後の新聞言説の分析をとらえ返すことで彼のジャーナリズム批判の方法が論理の徹底性にあることを明示した。最後に課題を挙げた上で,民衆思想を潜り抜け,知識人との距離感と諷刺・頓智への感度を有する荒瀬の実践的な批判性が,自己の知識人像とジャーナリズム思想を結びつける原理であったことを提起した。
著者
粟谷 佳司 福間 良明 長妻 三佐雄 馬原 潤二 根津 朝彦
出版者
立命館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

本研究は、同志社大学における新聞学専攻の形成と展開を通して、新聞学という学知とその文化を考察した。同志社大学の「新聞学」を戦前から戦後にかけての政治学などの学問の知との関係、戦後大衆化する大学と学生の文化などから複合的に考察し、その生成と展開について検証した。特に、鶴見俊輔を始めとした新聞学専攻の教授や京都の知識人、関係者の言説の研究から、「新聞学」という学知の変遷、学生が関わる大衆文化をその社会空間や言説空間の成立と展開過程から、文献や資料、インタビュー調査などによって分析した。
著者
根津 朝彦
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.216, pp.121-152, 2019-03

本稿は,『毎日新聞』の社会部記者であった内藤国夫(1937~1999年)を中心に,東大闘争の専従記者が「1968年」報道にいかに携わったのかを明らかにする。第1節では,運動学生の行動動機を顧みずに,かれらを「暴徒」と見なす全般的な報道の特徴を検討した。それをよく示すものが『山陽新聞』の改ざん事件と,内藤国夫が取材した王子デモ報道であった。この背景には,学生運動の「暴徒」観を根強く抱く編集幹部の存在が挙げられる。第2節では,大学担当記者になった内藤国夫が東大専従記者となり,大河内一男総長の辞意報道に及ぼした影響や,各社が集った東大記者クラブと取材班の陣容を整理した。第3節では,内藤の日頃の取材先を押さえた上で,東大専従記者と運動学生の緊張関係が高まった読売新聞記者「暴行」事件に焦点をあてた。この事件を契機に学生の新聞不信が激化したことと,内藤の学生のために取材をしているという「君らのため」観との間に乖離があることを示した。第4節では,安田講堂の攻防で時計台放送が投げかけた,記者たちにとって東大闘争と報道とは一体何であったのかという,内藤を含めた記者たちの主体性を突きつける問題を考察した。それとともに警察側のデモ現場での巧妙な潜入や学生対策の実態について言及した。内藤は,東京大学法学部の卒業生という利点をいかし,取材源に食い込み,多くのスクープをものにした。しかし,その取材現場では学生の「暴徒」観に象徴されるように,事実に向き合おうとする記者と報道機関の姿勢も問われていた。そして多様な事実を報じる回路を制約したのが,現場記者と編集幹部の認識の差であった。記事決定の裁量権をもつデスクや編集幹部の力関係の構造の下,「1968年」報道も多面的な現実を読者に報じる役割が妨げられていたのである。最後に東大闘争と学生運動における暴力の問題についても見通しを提示した。
著者
根津 朝彦 ネズ トモヒコ Nezu Tomohiko
出版者
同志社大学人文科学研究所
雑誌
社会科学 = The social sciences (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.42, no.4, pp.113-136, 2013-02

論説(Article)これまで看過されてきた1950年代の多田道太郎の仕事のもつ意味に注目し、彼に有する「非・反アカデミズムの視座」の特徴と変容を明らかにした。多田がこの視座を培ったのは、京大人文研と『思想の科学』、桑原武夫と鶴見俊輔との出会いが大きい。そして多田は学問に発想を重んじていくが、60年安保以降、アカデミズムへの志向はかげりを見せ、50年代に多田が目指していた研究者と実作者を橋渡しする学問の模索を断ちきってしまった。
著者
根津 朝彦
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

本年度は、研究実施計画通り学位申請論文「戦後「論壇」における『中央公論』のジャーナリズム史研究-「風流夢譚」事件と編集者の思想を中心に」を完成させた。2009年5月の予備審査に草稿を提出し、それに合格し、同年11月に博士論文を提出し、2010年3月に博士(文学)の学位授与が認められた。本年は、とりわけ博士論文の未完成部分であった一章の論壇時評の分析と、二章の『中央公論』の主要論文の分析を中心に取り組んだ。一章では、1945~1972年の『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』の膨大な論壇時評を読み込み、それぞれの時期ごとの特徴を位置づけた。二章では、これまで作成したものに加えて、1950年代後半の『中央公論』の論調を代表するルポルタージュの分析を行った。それにこれまで総計22人延べ30回の聞書き調査の内容を精査し、中央公論社の一次資料である『書店はんじょう』『中公社報』『社内だより』の分析を盛り込み、これまでの投稿論文から構成した三章と四章に加筆して、博士論文を完成した。研究の成果は大きくいって四点に集約される。第一に、戦後「論壇」の全体像を提示したこと。第二に、その「論壇」において『中央公論』を特徴づける主要論調を明らかにしたこと。第三に、「風流夢譚」事件の全貌を戦後ジャーナリズム史の中で位置づけたこと。第四に、総合雑誌編集者の役割の問題提起を行ったことである。2年間を通じて滞りなく研究課題を遂行し、最大の研究目的である博士論文の完成を計画通り達成することができた。