著者
華 雪梅
出版者
神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター
雑誌
非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (ISSN:24325481)
巻号頁・発行日
no.18, pp.149-175, 2019-09

秦の始皇帝の命を受け、不老不死の仙薬を探すために、徐福(ジョフク)が日本に渡来したという伝説は、日本最北の地 北海道から最南端の鹿児島県に至るまで、全国に伝承されている。本論文では、筆者がさまざまなロマンにあふれる佐賀県佐賀市の徐福ゆかりの地を訪れ、人々に語り継がれてきた徐福伝説の歴史と現状を考察する。地元に語り継がれている口碑と文字記録として残された史料などを併せて分析すると、徐福伝説が地元で盛んに流布されていた時代は、江戸時代であろうと推測される。 佐賀市には徐福に関わるさまざまな地名や事物、伝説がある。浮盃(ブバイ)・寺井・千布(チフ)という地名は、徐福伝説に由来するといわれ、古くから地元の人々に語り継がれてきた。事物としては、「徐福が持ってきた」といわれている樹齢2200 年のビャクシンの古木がある。また、筑後川に生息する「エツ」という川魚は、葦の片葉が川面に落ちて生まれたという伝承や、徐福が見出した「フロフキ」という仙薬もある。伝説としては、徐福と地元の娘のお辰との悲恋伝説がある。地元の住民たちは、この伝説を熟知し、情熱を傾けて語り継いでいる。さらに、佐賀市に伝わる口碑によると、徐福は不老不死の仙薬を探すため、金立山に登り、地元の金立神社の祭神となったといわれる。往古から住民たちの信仰を集め、「金立大権現」と呼ばれて祭られている。このように徐福伝説は、佐賀市でさまざまな形で伝えられ、地元に融合し、生き生きと伝承されている。 民間伝承として伝わる徐福伝説は、関連する事物によって、地元の人々に記憶として刻み付けられている。特に、雨乞い行事と金立神社例大祭が行われる時期になると、徐福伝説にちなんだ事物は、その伝説に対する記憶を思い出す糸口となり、古くからの徐福信仰の記憶を呼び戻しながら、また新たな信仰の記憶を構築する。本論文は佐賀県佐賀市の徐福伝説にまつわる事物の調査や、地元の人々に対する聞き取り調査を基に、徐福伝説が佐賀市で定着し、語り継がれている背景や要因と、その伝承形式を明らかにするものである。論文

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"筆者の考察によると、徐福渡来の伝説は地元において、江戸時代に入ってから、人口に膾炙するようになった。つまり、徐福伝説が地元で盛んに流布した時代は江戸時代であろうと推測される。" →なるほど

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